岩手最古の蔵を終わらせたくない
安永年間(1772)に酒造業を始めた、菊の司酒造株式会社。250年という歴史ある蔵ですが、設備の老朽化、財務状況の悪化により株式会社公楽に事業譲渡を行いました。「公楽がなぜと思う方もいらっしゃると思います」と話すのは、菊の司酒造株式会社取締役の山田貴和子さん。他業種の公楽が安易に引き受けられるものではないと、一度はお断りしたといいます。しかし、いわぎんコンサルティング株式会社(現・いわぎんリサーチ&コンサルティング株式会社)から「このままでは『菊の司』の歴史は終わる」と告げられ、貴和子さんの父で株式会社公楽代表取締役社長の山田栄作氏の考えに変化が。「先代が大好きだった岩手川さんも倒産してなくなったことが頭をよぎり、今回のお話を何かのご縁だと感じたようです」と貴和子さん。「それに『頑張っている人、チャレンジする人を応援します』を「我々の目的」とする公楽が、チャレンジせずに諦めてしまっていいのかという思いもあったようです」と続けます。歴史ある蔵を守ることができるならと全てのスタッフを引き受け「新生・菊の司」として新たな一歩を踏み出しました。
「とはいえ、誰から見ても私は何かしら劣っていたと思います」と当時を振り返る貴和子さん。日本酒のことも分からずにこの業界に入り、取締役という立ち位置に悩んだといいます。蔵人一年生として仕込みに入り、県外、海外の新規開拓営業をし、契約農家の田んぼに足を運び、ポップを書き、ラベルデザインを考え、広報活動と目まぐるしい日々を送ってきました。「やらないと分からない」と貴和子さん。「世界中に何千何万とある日本酒の中から『菊の司』を選んでいただくには、うちの蔵の強みを知らなければ心からの営業はできない」と話します。「菊の司」の知名度アップのために、勉強し奔走する貴和子さんの存在が「公楽」と「菊の司」をつなぐクッションになっているのではないでしょうか。
自然豊かな雫石で新生・菊の司を醸す
今年10月、雫石町の旧上長山小跡地に新工場が完成しました。当初は紺屋町での蔵の改修を考えていましたが、特殊な構造で図面もないことから請負業者も見つかりませんでした。さらに、工事が終わるまで2、3年は仕込みができなくなります。「そこで新工場という話が持ち上がりました。場所の候補には自然豊かで環境もよいと雫石の名前が上がり、検討を始めましたが、猿子町長にお力添えをいただくことで話が一気に具体化に向かいました」と貴和子さん。
11月7日にオープンを控えた新工場のこだわりは冷蔵・冷凍設備。例えば、火入れせずフレッシュさを閉じ込めた生原酒シリーズ「kikunotsukasa innocent」はマイナス5度帯というように、全てのお酒を最適な温度で管理できます。エアコンの導入で、通年醸造も可能になりました。クレーン、エアシューター、温度管理機能付サーマルタンク、タックラベラーなど機械化を進める一方で、南部杜氏の昔ながらの手仕事に特化した商品も残すなど、機械化とてづくりのミックスで作業の効率化と伝統維持・継続を図ります。
「IT企業での経験を生かし、社内ツールも変更しました。アプリで社内の状況を共有し、お客さまのために何ができるか自ら考え動けるようコミュニケーションの強化を図っています」IT企業では営業、納品、ネットワークの設定、配線工事、社員教育までほぼ全ての部署を経験した貴和子さん。その経験が、28歳という若さで老舗の酒蔵の取締役として果敢に踏ん張る底力につながっているのかも知れません。
「新生・菊の司」の始動から約一年半が経ち、県内のお客さまに加え県外、海外へと出荷量も増えています。「課税、輸送、温度管理など日本酒を海外に出すには課題もありますが、お酒に合う岩手のお魚やお野菜を一緒にコンテナで送るなど、岩手のものが繋がる海外のニーズにも応えていきたい」と貴和子さん。そのためにも「菊の司」を知っていただき、手に取っていただけるようまずは名前を広げていきたいと話します。
「家業から企業へ、今の時代に合わせて変化を伴いますが、皆さまに安心していただけるよう、自身の姿で見せていきたいです」と貴和子さん。「菊の司」の酒造りは「菊の司」の蔵人と共にこれからも続いていきます。「岩手で一番古い歴史を持つ蔵が、さまざまな歴史を経て頑張っていく姿を見ていただき、これまで以上にどのような形でも良いので、わたしたちにお声をいただけますと幸いです」と話します。お客さまと対話しながら歩んでいきたい、そんな「新生・菊の司」。これからの世代を、歴史を知るシニアだからこそ応援できるのではないでしょうか。