奇跡のおばあちゃん

奇跡のおばあちゃん

インタビュー
さとう農園 司令塔 佐藤 ハギヨさん
さとう農園 司令塔
佐藤 ハギヨさん
(92)

● 馬からトラクターへ 農業と共に80年

 四世代が一つ屋根の下で暮らしながら、有機栽培の野菜やリンゴを育てる「さとう農園」。仕事と農業の二足のわらじを履く家族の先頭に立ち、司令塔の役割を果たしているのが佐藤ハギヨさんです。92歳でトラクターを乗り回し、自分でスケジュールを立て有機野菜や花を栽培。まるで魔法のようにお盆の時期にピッタリ咲くように花を育てるなど、家族から「生き仏さま」と呼ばれる奇跡のおばあちゃんです。

 米とリンゴを栽培する農家の第一子として生まれたハギヨさん。祖父は早く亡くなり、海軍兵の父は家を留守にすることが多く、子どもの頃から家の手伝いをして育ちました。妹を背負って学校に通い、小学校高等科の卒業と同時に14歳で就農。「一反歩(300坪)田打ちしたら大根も麦も混ぜない白いお粥食べさせるって言われて、朝の4時から3本鍬で頑張ったもんだよ。今思えば良くやってきたね」と懐かしそうに話します。19歳で大農家に嫁ぎ、家事に育児に農業にと休むことなく働いたハギヨさん。「当時は馬で田打ちしたね。手綱を引いて男勝りな仕事をしたもんだから、近所の人にオンジィ(次男のこと)って言われたの」と笑います。体を動かして働くことが得意でなかったご主人に代わり、なんでも体当たりで挑んできました。40歳で農耕馬からトラクターに乗り替えた時は「機械ってこんなに楽なもんなんだ」と感動しました。孫を背負ってコンバインで稲を刈ったこともありました。「そうやって私はずっと農業をしてきたの」とハギヨさん。「誰にも頼まれてないけど、1円でも足しになればと思って勝手に種まいて育ててるの」と続けます。天候や作業時期、生育状況などを記録した20年分の農業日誌は「さとう農園」の財産です。

 経験豊富なハギヨさんを頼って、岩手大学の農学部の学生も足を運びます。一緒に野菜を育てたり、酒米の栽培方法を学んだりと熱心な若者の姿に「頼りにされると嬉しいし、かわいいね」と笑顔に。学生のために収穫後の畑のマルチシート(畑の畝を覆う資材)を外し来年の準備をするなど、学生さんの畑もほっとけないハギヨさんです。

● 感謝を忘れず自立して生きる

 毎朝7時に起き、朝食後は畑に出勤するハギヨさん。少し離れた畑で作業する日はお弁当持参で出かけ、日が暮れるころに帰宅します。家族と夕食を囲み、入浴後20時ごろには就寝。冬の農閑期も、産直用のクルミの皮をむくなど、一年中休みなく働きます。「お母さん(嫁)も孫も仕事があるから、私が先に立ってやらないと」と頼もしい一言。料理をする人が少しでも楽なようにと、その日食べる分の野菜を収穫し洗って、毎日勝手口に届けます。「いつもおばあさんおばあさんって大事にしてもらってるからね。家族は五分づき玄米を食べてるけど、白いご飯食べたいって言えば私のためにわざわざ炊いてくれるよ」と家族への感謝があふれます。ご主人と息子さんは天国に逝ってしまいましたが、お嫁さんと孫、ひ孫と四世代でにぎやかに暮らす今が幸せ過ぎるほど幸せだと話します。

「このまま幸せに暮らすには、病気しないで健康でいなければ」。家族の負担にならないよう気持ちも体も自立し、ダラダラしない規則正しい生活を心がけているといいます。「あとは意地悪をしないこと。家族だけでなく誰にでも笑顔で親切に接して、みんなからおいでおいでって声をかけられるような性格にならないとね」と話します。

 今日も朝から畑に向かうハギヨさん。「タマネギもジャガイモも大きく育てると収穫する時に楽しいでしょ」と、日誌とにらめっこしながら追肥のタイミングを考えます。高齢だから、危ないからと行動を制限されることなく、好きなように農作業を楽しむハギヨさんの姿が「ありのままで自然に暮らす」ことの大切さを教えてくれました。

古いトラクターを自在に操作するハギヨさん
古いトラクターを自在に操作するハギヨさん。振動を感じロータリーを上下しながら誰よりも完璧に乗りこなす

プロフィール

1930年、盛岡市湯沢生まれ。7人きょうだいの長女として下の子の面倒を見ながら、お勉強より鉄棒や跳び箱が得意な活発な少女時代を過ごす。飯岡村立飯岡第一国民学校羽場分校高等科卒業後14歳から家業の農業に従事。19歳で結婚し3人の子どもと11人の孫、16人のひ孫に恵まれ、今年4月には玄孫が誕生。有機野菜やリンゴを栽培する「さとう農園」の司令塔として1日の大半を畑で過ごす

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