父から息子へ、繋ぐ思い

父から息子へ、繋ぐ思い

インタビュー
シリウスグループ 代表 佐藤 幸夫さん、株式会社シリウスEHC 代表取締役 佐藤 志学さん
シリウスグループ 代表
佐藤 幸夫さん
(75)
株式会社シリウスEHC 代表取締役
佐藤 志学さん
(38)

● 18年連続でトップを走り続ける

 岩手県内の住宅着工ランキング(リビング通信社)で、18年連続で持ち家着工棟数1位のシリウスグループ。秋田県出身の佐藤幸夫代表が、1994年に縁もゆかりもない盛岡市に移り住み、孤軍奮闘し創業したハウスメーカーです。現在は、年商105億、従業員数145名を抱え、「シュガーホーム」をはじめとするオリジナルブランドに加え「アイフルホーム」などのフランチャイズ事業、住宅リフォーム、太陽光発電など「住まい」に関わる幅広い事業を展開しています。

 そんなシリウスグループでは、昨年より、創業者の長男である佐藤志学さんを株式会社シリウスEHCの代表取締役に迎え、父から息子へ世代交代が進められています。

「仕事が趣味」という佐藤代表は、休むことなくがむしゃらに働き、一代で中堅企業を築き上げた人物。経営方針、お客さまや従業員への思い、企業のトップとしてあるべき姿など、二代目に求めるものも大きく、二人は対立することもあったといいます。決して順風満帆ではなかった父と息子が、どのように関係を修復し、共に歩み出す決意に至ったのか。これまでの思いや葛藤、今だから話せることをお二人にお聞きしました。

● 息子には息子の道がある

 佐藤代表が起業した時、志学さんは小学生でした。後継者として育てようという気は全くなく、子どもたちは自由に将来を選択して育ったといいます。「ところが会社が大きくなってきて、自分の代で終わらせたくない、永続的に会社を存続させたいという夢を抱くようになった」と佐藤代表。志学さんが高校に進学する頃には後継者として意識するようになり、心の中では工業系の大学で建築学を学んでほしいと望んでいましたが、その思いを口にすることはありませんでした。

 普段から仕事で家にはおらず、子どもたちと進路の話もすることはなかったという佐藤代表。父の本心を知ることもなく、志学さんは青森公立大学へ進学し岩手の地方銀行に就職。銀行での仕事も5年ほどたち、そろそろ新しいことにチャレンジしようと考えていた矢先に、地元の建築会社の社長に誘われます。転職を決意したことを父に話すと「本気で銀行を辞めるなら、うちで働かないか」と思わぬ一言が。「子どもの頃から、いつか自分が継ぐんじゃないかという気持ちはどこかにありました。いつになったら声をかけてくれるのかという気持ちもあり、嬉しかったです」と志学さん。父からの誘いは、ある程度認められた証だと受け止め、父の会社への入社を決意しました。

● 経営者の息子という重苦しいレッテル

 シリウスグループの中でも「ひのきの家」に特化した「サイエンスホーム」の営業として、新たなスタートを切った志学さん。住宅業界は全くの未経験で、分からないことと向き合う苦しい日々が続きました。「ところが、直属の上司となかなかうまくいかなかった」と志学さん。「上司だけでなく、社員のみなさんともうまくいきませんでした。経験も役職もない平社員として入社して、自分では同期の仲間や他の社員と同じように接しているつもりでも、どこか距離感を感じました」。経営者の息子というレッテルが付きまとい、会社での立ち位置が分からなくなり、次第に居場所を失っていきました。「これまでの人生の中で一番辛かった。ここにいても自分は成長できないのではないかと感じた。ただ父の手前もあり、何とか2年半は我慢しました」。自分の置かれている状況や考えを父に伝え、意を決して「配属を変えて欲しい」と願い出ましたが「動かすことはできない」と一喝。さらに「それなら辞めろ」と厳しい言葉が追い討ちをかけます。分からないことを教えてほしい、他の社員と同じように扱ってほしい、ただそれだけなのに。少しでも自分の気持ちを理解してほしかったと納得できない思いを抱いたまま、志学さんは父の会社を去りました。

「当時の息子には足りないとこがあった。もっと泥まみれになって、がむしゃらに努力してほしかった」と佐藤代表。「直属の上司と合わなかったかもしれないが、私はそういう時ほど闘志が湧くタイプ。だから、根性で立ち向かってほしかった」。地道に努力して誰もが認める成績を出していれば、配属を変えることもできるのですが、成果が上がっていないのに、親子だからと特別扱いはしません。「甘えは受け入れない。だって会社は社員みんなのものでしょ。社長だけでなくみんなの幸せのためでしょ」と佐藤代表。当時は、二度と会えなくなるかもしれないという覚悟で、息子を追い出したといいます。

佐藤志学社長
佐藤幸夫さん

当時を振り返り熱く話をする佐藤代表と志学社長。お互いの考え方こそ違えど話の節々には感謝と尊敬の念が垣間見られる

● 父の病を機に変化する関係性

 会社だけでなく住み慣れた実家も飛び出し、新たな就職先を探し始めた志学さん。父と決別し、自信を失いかけていた時期に「あなたが欲しい」と手を差し伸べてくれたのが、大阪に本社を構える、鉄や建材の専門商社でした。志学さんは慣れ親しんだ岩手から遠く離れた大阪で再スタートを切ります。「営業の仕事をしましたが、はじめて仕事の楽しさを見つけられました。分からないことは聞けば何でも教えてくれる、そんな当たり前のことが嬉しくて感動しました」。この会社に骨を埋める、そんな気持ちも芽生えていました。大阪で1年、盛岡営業所に移り2年半が過ぎ、実家には盆と正月以外は寄り付かない状態が続いていました。父との関係性は、お互いに母を介して近況を知る程度の疎遠なものになっていたといいます。

 そんなある日「父が倒れた」と電話が。奥さまと生まれたばかりの子どもを連れ慌てて駆けつけた志学さんに、病床の父が告げたのは「お前にシリウスグループを継いでほしい」という意外な一言でした。「辞めろと言われて辞めて、新しい場所で順調に働いているのに、今さら戻って来いなんて冗談じゃないという気持ちでした」と志学さん。「ただ、父の表情から本気だということが伝わりました。当時の容体は本当に良くなかったのですが、そんな中でも会社の将来を心配する姿は今でも忘れません」。申し訳ないという気持ちを抱えながら、当時の上司に事情を説明し、理解を得た上で5カ月後に退職。こうして2022年9月1日、志学さんは株式会社シリウスEHCの代表取締役に就任しました。

 会社を存続させるために、佐藤代表は3つの選択肢を用意していたといいます。一つ目は会社を売却すること、二つ目は社員を社長にすること、三つ目は息子を社長にすること。息子への継承を選択した背景について「税金問題」が大きいといいます。「血縁者以外に会社を相続する場合、うちの会社だと億単位の相続税を納めなければならない。社員一人ひとりの努力の積み重ねで生まれた利益を、社員にもお客さまにも還元できずに税金に取られるのは避けたかった」と佐藤代表。「だから息子が継いでくれることになって、心から感謝している。もし断られたら、会社を売るしかなかったかもしれない。経営者が変われば経営方針も変わる。そうなるとシリウスグループの今後も、うちで建ててくれたお客さまへのアフターフォローも、145名の社員の運命も、新しい経営者の考えひとつで変わってくる、それはどうしても避けたかった。体調のせいもあってか、病床で話をしたのは正直覚えていないが、常に頭の中に先のことはありました」と笑います。

 病がきっかけとなり、父と息子の間で燻(くすぶ)り続けたわだかまりが解け、心の奥底で互いに求め続けていた創業者と二代目という新たな関係性を築き始めました。

● 親子のタッグで存続する企業へ

 一度飛び出した会社に戻った感想をお聞きすると「役職者として戻ったので、代表の息子というレッテルも、社員との距離感もあって当然だと思えるようになりました」と志学さん。居心地の悪さや仕事のやりづらさは、今は感じていないといいます。仕事だけでなく教育体制など他の企業で学んできた経験も自信につながっているとのこと。「大阪の会社では、建材の卸だけでなく施工にも携わってきたので、施工業者の方とのお付き合いも当然ありました。住宅もそうですが、道路でも何でも施工業者さんが動いてくれなければ何も作れない。休憩時間に一緒にお茶しながら会話をしたり、納期が厳しいときはできることを手伝ったり、父もよく言っていたことですが、施工業者の方を大切にし、良好な関係性を築くことの大切さを学びました」と話します。

 さらに「家は引き渡してゴールではなく、引き渡してからがスタートなんです」と志学さん。何十年と家族が過ごす大切な場所だからこそ、アフターフォローやメンテナンスを大切にしていきたいと考えます。「家は住んでいるうちにどうしても痛みますし、不具合も出てきます。そういうときに対応してくれなかったら悲しいじゃないですか。そうならないようにお客さまの家に対する思いを共有しながら、引き渡してから20年30年とお付き合いを続けさせていただいています」と、創業者の家づくりへの思いをしっかりと引き継いでいます。「そのためには、永遠に会社が存続していなければならない。それが当社を選んでくれたお客さまへの責任だ」と佐藤代表が続けます。

「私がお世話になっていた大阪の会社は、今年で創業146年目の歴史ある会社です。なぜここまで存続したかというと、最初は大阪で金属の加工卸をしていたのですが、太平洋戦争で日本中が焼け野原になった時に、これから家がどんどん建っていくから建材に力を入れようと、当時の社長が事業の方向性を転換し大きく成長したと聞いています。私も、時代の流れを読んで、これから伸びるであろう業種や手法を取り入れていきたい」と、シリウスグループを永遠に存続させるために、新しいことにもチャレンジしていきたいと意気込みを話します。

 さまざまな経験を積んで戻ってきた志学さんに対し「足りないところはあるけれど、以前と比べるとよくやっています」と満足そうに話す佐藤代表。「一代で100億企業を立ち上げた偉大な父に、少しでも認められたなら嬉しい」と志学さん。「今はできなくても、努力を重ねることで必ず父に追いつけると自分に言い聞かせている」といいます。創業当時の苦労話など、父からのアドバイスは経営者として何より勉強になるとのこと。「代表からは、とにかく本を読めと言われます」と志学さん。「特に歴史の本がいい。アレキサンダー大王とか日本だけでなく世界の戦争の歴史がいい。会社経営はいつでも勝ち戦じゃないから、人間の掌握とか経営の参考になる」と佐藤代表。成功している経営者の著書など200冊以上を読破し、良い点は即時取り入れ、結果が出なければ止める。そうやってさまざまな経営者のいい所を取り入れ、独自の仕組みを作ってきました。「私は2位は負けだと思っているので、自分が絶対に勝つと決めてやってきた。だから18年連続ナンバーワン。2位と100棟以上の差をつけて圧勝ですよ」と創業者のリーダーシップはまだまだ健在です。「トップ企業だからこそ、働きやすさをもっと改革して、若い世代が働きたいと思うような業界に変えていきたい」と志学さん。岩手の「住」の環境を支え、岩手の経済に貢献していきたいと話します。 

● 苦労があったから理解できる今

 今なら、当時の父の気持ちが少しは理解できるという志学さん。「最初に会社に入った時に、もっともっとがむしゃらに頑張るべきだった、当時は父の立場も分からず、甘かったです」。18年連続ナンバーワンの企業を継承する思いについてお聞きすると「プレッシャーは大きいですが、父から学べるところはしっかり吸収して、いざシリウスグループのトップに立った時に十分生かせるよう、頑張っていきたい」と話してくれました。「立場は人を変え地位は人を作る」と佐藤代表は話します。責任を背負って人のために必死で頑張っているうちに、その立場に相応しい人間に成長するものだと。

 自分のビジョンを持ち、伝え、ぶつかりながらも互いを理解し、時間をかけて支え合う関係性を築いた父と息子。今後は二人三脚でシリウスグループを引っ張り、数年後には世代交代を完了する計画です。「会社がなければ息子との関係性は全く違っていただろう」と佐藤代表。親子だからこそ厳しくしたこともありましたが、苦しい経験を重ねながら頼もしく成長した息子の姿に、父の表情も和らぎます。「関わる全ての人たちのために」創業者のがむしゃらな努力と二代目の若い感覚や他社での経験が融合した新体制のシリウスグループが、満を持して力強く走り出しました。

本社の前で映る佐藤代表と志学社長

プロフィール

【佐藤 幸夫さん】1947年、秋田県潟上市(昭和町)生まれ。1994年に盛岡市で昭和住建株式会社を設立。2001年に株式会社フォーユーに、2004年に株式会社シリウスに社名を変更。一代で従業員数145名、年商100億を超える企業グループに育てる
【佐藤 志学さん】1985年、秋田県潟上市(昭和町)生まれ。青森公立大学卒業後、岩手の地方銀行を経て株式会社シリウスに入社。代表である父との意見の対立から退職し、大阪の建材の専門商社へ。父の病を機に2022年に株式会社シリウスEHC代表取締役に就任

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