地域と発展する酒造り

地域と発展する酒造り

インタビュー
株式会社浜千鳥 代表取締役 新里 進 さん
株式会社浜千鳥 代表取締役
新里 進 さん
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● 大学の技術員から5代目蔵元へ

 土地の水や米を使った酒造りにこだわる、釜石市の株式会社浜千鳥。今年秋には創業100周年を迎える、歴史ある酒蔵です。「私のルーツは、遠野の造り酒屋です」と話すのは、5代目蔵元の新里進さん。遠野市で酒造りをしていた曽祖父が釜石の有力者と共に1923年に「釜石酒造商会」を創業したのが始まりです。

「三陸大津波や戦争で資料を失い、詳しい歴史は分からないですが、私が子どもの頃は只越町の釜石郵便局の場所に蔵がありました」。3代目蔵元の三男として生まれた新里さんは、自宅が近かったこともあり、日常的に酒造りに触れながら育ちました。「2人の兄と違って、私は勉強しろと言われたことがなかった。末っ子で、後を継ぐ予定もなく自由に育ててもらった」と幼少期を振り返ります。大学卒業後も技術員として中央大学に残り、都会での暮らしを満喫していた新里さん。「ところが、兄たちが蔵を継がないことが分かってきて。いずれは私が、という空気に変わっていきました」。もともと酒造りの雰囲気は好きだったということもあり、父からの誘いを受け、24歳で釜石市に戻ります。

● この土地でしか生まれない酒を

「酒造り以外すべてやりました」と話す新里さん。配達の手伝いからスタートし、半年後には経理を受け持ち、酒税についても学びました。手書きで帳簿をつけ、決算書も作りました。中でも苦労したのが、杜氏さんとのコミュニケーションだったといいます。当時は、石鳥谷町から杜氏集団を招き、酒造りを任せるというスタイル。杜氏と蔵元が品質について話し合う習慣はありませんでした。「同じテーブルにつくために必死でした。話をしても専門用語と杜氏さん独特の表現が難しくてついていけない。味が『重い』と言われても、濃いのか、酸度が高いのか、感覚言葉で理解できなかった」。年の離れた杜氏さんに何度も聞き、確認しながら関係を築き、次第に肩を並べて酒造りに関わる体制ができていきました。

「そのおかげもあって、昭和60年頃、酒造りを品質志向に転換するために、味の設計や新しい酒のイメージを杜氏さんに伝えた時には、腕の見せ所だと喜んで賛同してくれたのを覚えています」。品質アップに合わせて、ラベルも髭文字の「濱千鳥」から現在の「浜千鳥」にリニューアル、平成15年には社名を「株式会社浜千鳥」に変更しました。

 杜氏さんと二人三脚で酒造りを行ってきた新里さん。そんな新里さんにも転機があったと話します。

「日本酒の業界がずっと低迷していることに対して、昔はこんなもんだなと思っていました。ただ、青年会議所の経営開発セミナーに参加した際に10年分の経営シュミレーションをやったんです。その時に本当にこのままじゃいけないって事実を突きつけられました。さらには、この中、非常にいい方向に向かう酒造会社もありました。ここから、釜石で酒造りをすることの意味と本気で向き合うようになりましたね」と新里さん。

 転機を元に、向かう方向も定まった浜千鳥。「これからは、地域の食や文化を知ってもらい、その中で『浜千鳥』を自然に選んでいただけるような、地域とともにある酒造りをしていきたい」と新里さんは話します。「存続は大切ですが、新たな考えを持って発展することが必要になると考えています。そのためには地域との関わりが必要です」。新里さんは酒造りを通して地域のバトンも次の100年へつなぎます。

小原さんの秘密基地と作品の数々
小原さんの秘密基地と作品の数々

プロフィール

1958年、釜石市生まれ。中央大学理工学部卒業後、同大学に就職。24歳で株式会社浜千鳥に入社。営業、経理、常務、専務を経て2001年から代表取締役。趣味は、ユーミンを聞き、大谷翔平を応援し、YouTubeで卓球の試合を観戦し、料理との相性を探りながらお酒を楽しむこと。愛読書は、卓球女子日本代表の監督を務めた村上恭和氏の『勝利はすべて、ミッションから始まる。』

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