もう20年近く前になるが、地元テレビ局の企画で義経北行伝説をルポしたことがある。北行ルートを徹底的に辿って、その先々で伝説をリポートする。平泉からスタートした旅は岩手県内はもとより、青森、北海道と北上し、ついには義経=チンギスハン説にまで迫ろうとモンゴルにまで飛んだ。
モンゴルの最終目的地はアウラガ遺跡。チンギスハンは現在も陵墓が未発見であるが、ここは霊廟(れいびょう)ではないかとされる聖地だ。霊廟とは陵墓そのものではないが、霊を祀ったお宮を言う。つまり陵墓発見の重要な手掛かりになる場所ということになる。アウラガ遺跡はいかにもモンゴル風景を絵に描いたような、なだらかな草の海のなかにあった。そして発掘現場の傍らから、やや急な斜面が伸び、それは彼方に光る雪を頂いたたる山まで伸びていた。その山容を見て、私たち取材陣は「早池峰山に似ている」などと話した。
同時に私たちの目を引いたのは、その丘の途中にひときわこんもりと盛り上がった饅頭状の膨らみだった。自然物にしてはあまりに違和感がある。人工的な風景に思えますねと言い合い、そこを丹念に探索した。
その後、宿舎にしていたゲルキャンプに戻り、私たちは現地住民に、先ほど見て来た丘陵地帯の盛り土についてなど、地元の言い伝えを取材した。通訳を介しての取材だ。モンゴル語での会話に耳をそばだてていると、その最中に「○×▽×○▽トオノ▽◇×……」という響きを耳にした。私と同行の岩手人は顔を見合わせた。
「今、遠野って言ったよね」
「明らかに言ってた。でもさすがに偶然だろう」
私たちのその会話を聞いていた通訳さんが説明してくれた。
「トオノというのはあの斜面の向こうの険しい山の名前です」
「あの早池峰山みたいな山が、遠野…」
さらによく聞けば「トオノ」はモンゴル語で「天窓」「天と繋がる窓」のことを言うらしい。私たちも泊まっていた遊牧民の移動式住居「ゲル」の頂点部にある穴(射し込む陽の角度で時間が分かり、寒い時はストーブの煙突を出すという)も「トオノ」と呼ぶそうだ。
私たちがトオノという言葉を異郷の地で聞いた時の驚きと興奮を読者の皆さんならわかってくれるだろう。トオノと称される聖山が望める地に、チンギスハンの霊廟があり、あの違和感ある盛り土がある。人工的にも見える盛り土に陵墓の気配が漂うというだけでなく、なんと義経の残影までちらつくのだ。
「もはや恨みはない。ただ故山に帰りたい」と語ってチンギスハンは死んだという。
恨み?誰に対して?故山(故郷の山)?それは一体どこを指す?偶然に決まっていると笑ってみせても、世紀の大発見みたいな気分を捨て切れないあの日の私たちだった。