私たち50代後半は心霊写真ブームど真ん中の世代である。当時、ノストラダムスの大予言、ユリゲラー、UFO、UMAなど、オカルトが一世を風靡しており、心霊写真もその大ブームの一角を成していた。
流行のきっかけとなり、青少年たちを心霊写真にいざなったのは、中岡俊哉が著した『恐怖の心霊写真集』だった。この本が最初に出版されたのが昭和49年。そして著者はこの本の続編のために、以降読者から積極的に写真を募った。続々と集まって来る写真からそれらしいものを選定・掲載し、「これは地縛霊です」「浮遊霊です」などと本の中で鑑定してくれる。それが正しいかどうかなど判別できるわけはないのだが、憧れの本に載りたくて純粋な青少年たちはせっせと墓地やいわく付きの怪しい場所へカメラを携えて出かけるようになった。
かくいう私も、多感な10代前半だったこともあり、家の戸棚の片隅に眠っていた古い簡易カメラを引っ張り出し、ネガフィルムを装填して墓場や火葬場をうろついたりしたものだ。さらには地元でまことしやかに「出る」と言われていた場所にもよく出かけていた。周囲の大人たちから、気味悪いからやめておけと言われながら…。
それにしても、掲載となったものはもちろんのこと、届けられた莫大な「心霊写真なような資料」は、鑑定後お焚き上げするなどという名目だったが、おそらく、著者や出版社側の元に保管されたことだろう。タダで集まるお金の種である。著作権というものが曖昧だった時代のうまい話だったのだろうと思う。
さて、数年前、同世代の親しいプロ写真家から「実は自分も写真の原点は心霊写真なんだよね」と告白された。怪しい原体験ながら、彼は心霊写真ブームがあったからこそ写真を生業にするに至ったわけである。興味半分で終わった私とは違い、彼は技術や感性を磨きプロになった。心霊写真が人の役に立った珍しい例である。
「写真というのは化学そのもの。あるものしか写らない、無いものは写りようがない」と話すその写真家に改めて心霊写真について聞いてみると「意図的に作られたものなど一部を除いて、見間違いや思い込みだろうね」と断言した。
三つの点が逆三角形に配置されているものを勝手に人の顔と錯覚・認識する「シミュラクラ現象」や、人が視覚や聴覚で感じた、本来そこに存在しないものを、自分の知っているパターンに当てはめて思い浮かべ、誤って認識してしまう「パレイドリア現象」によって人の脳は誤認識させられることがあるという。偶然の光や影の配置や色合いなどを人の顔や姿に認識させるのだ。
「そうは言って全否定したいところだけど、そうもいかない。じつは自分もすごく不可解な体験をしているから」と苦笑する。
次回はその奇妙なその事象を紹介したい。