【逆心霊写真】ある写真家の不可解なる体験

【逆心霊写真】ある写真家の不可解なる体験

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

 友人の写真家によると「心霊写真というものは見間違いや思い込みがほとんど」という。しかし、友人が「完全に」ではなく「ほとんど」と濁すにはわけがあった。写真家自身、どうにも不思議体験をしていたのだ。よく聞けば心霊写真と逆パターンみたいな不可解な体験なのだそうだ。

 20年ほど前。県内の、とある滝の名勝だった。彼は紅葉に彩られた絶景の撮影を依頼されてその展望所にいた。駐車場から森の中の遊歩道を歩いて5分ほど。現在のようなデジタルではなく、ポジフィルムを使う中判カメラは重く、それを三脚ごと担いで滝の前に据えると汗が吹き出た。曇天だったので日差し待ちしながら何度もファインダーを覗きアングルを決める。

 気づくと自分のすぐ傍らに老婆がいた。あまりに突然だったので彼は驚嘆の声を漏らす。体が触れそうなほど近距離に立っていた上品な佇まいの老婆は、優しげな口調で「ごめんなさいね」と侘びて微笑んだ。

 彼は気を取り直し「今日は観光ですか」などと話しかけると「ええ、思い出の場所なのでまた来てみたんですよ」とおばあさんは返した。そうやってしばし雑談した後、彼は一つ閃いた。

「そうだ、おばあちゃん、そこに立って。ポラロイド写真でテスト撮影しなきゃならないから、記念に撮ってあげるよ」

 老婆は恥ずかしそうに遠慮してみせたが「いいからいいから」と滝の前に立たせた。

 中判カメラは上部から覗き込むようにしてファインダーの中の構図を見る仕組みだ。

 鼻歌まじりにファインダーを覗いて、彼は(あれ?)と思った。状況が飲み込めない。画角の中には滝しか写っていないのだ。顔を上げ、自分の目で直接正面を見る。老婆は微笑みながらそこに立っている。ごくりと生唾を飲んで再びファインダーを覗く。やはり無人。滝しかない。脳内で状況の処理がうまくできないまま、念のためもう一度、老婆をじかに見て、すぐにファインダーを覗く。

(いない! この世の者ではない!)

 そう察した瞬間、彼は重たい三脚を担ぐや否や、一目散に逃げた。

 心霊写真が、すでに撮られた写真の中に見い出される、脳の誤作動が生んだ人の顔や姿だというなら、このケースのように、現実の視覚的に人が存在して見えるのに、ファインダー越しになると無人になるという現象は、いったいどう説明すればいいのか。

 こんなことがあるとすれば、大イベントや渋滞する群衆の中にも、何パーセントかは生きた人間ではない何者かが混じっている可能性すら出てくる。幽霊、亡霊だけでなく、生き霊、幽体離脱、残留思念といった言葉まで思い浮かべると、これほど不可解で恐ろしいものはない。

 それにしても、どうせ逃げ出すなら、その一瞬前に、一枚でもシャッターを切ってから走ればよかったのに…。そうすれば興味深いものが何か撮れていたかもしれない。

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