岩手と青森の県境を跨(また)いだ旧南部領一帯に残る「ナニャドヤラ」は、謎多き盆踊り唄と伝わっている。呼称ともなっている歌詞が謎の最たるものだろう。一聴して何を言っているかわからない。
ナニャドヤラヨー ナニャドナサレテ ノーオ ナニャドヤラヨー。これは青森県新郷村の「キリスト祭り」で踊られる際のバージョン。土地によっては「ニャニャトヤラ」とか「ナギャトヤラ」と発音する地もあるようだが、これら意味不明なフレーズの起源由来が明確ではないのは、時代とともに、あるいは土地訛りとともに、微妙に変化して伝承されたからだろう。不明確ゆえ語源や由来は諸説存在することとなる。
中でも特に興味深いのが「ヘブライ語説」ではなかろうか。一戸町出身の神学博士・川守田英二氏は、戦後に著した『日本へブル詩歌の研究』の中で、この歌詞をヘブライ語と捉え、「エホバ進み給え 前方にダビデ 仇を払わんとすイダ族の先頭にエホバ進み給え」を意味していると紹介している。しかし、どうしてこうした歌詞を盆踊りで歌い継ぐ必要があるのかは不明のままだ。
ちなみに岩手・青森の県境でヘブライ語に関連する話をするのであれば、前出の「キリスト祭り」が行われている新郷村にも触れておかねばならない。この村の旧名は戸来(へらい)村であり、その地名自体が「ヘブライ」から来たとする言い伝えがあるからだ。さらにこの地方では父を「アダ」、母を「エバ」と呼んできたという。これらは「アダム」「イブ」の転訛(てんか)だというから面白い。真偽のほどはさておき、こうした謎めく仮説の連鎖にはわくわくさせられる。
話は変わるが、かの柳田国男が2カ月ほどかけて東北を歩いて書いた『雪国の春』という紀行本に、大正9年、現在の洋野町にある集落の清光館という旅館に泊まった時の話「清光館哀史」が収められている。その中には、土地に残る不思議な踊りに触れたことなどが記されている。
文中で「女ばかりで踊るという盆踊り」について地元の娘たちに柳田は尋ねるが、娘たちは顔を見合わせて意味ありげに笑い、的を射た答えをしてくれない。やがて年嵩(かさ)の一人が、この何度聞いてもわからない歌詞について、鼻唄を歌うようにして教えてくれる。
《なにャとやーれ なにャとなされのう》……これを文中で柳田は「何なりともせよかし、どうなりとなさるがよい」と解釈し、「男に向かって呼びかけた恋の歌」と、柔らかく、ピュアな印象でまとめている。しかし、全国共通で、性の開放日でもあったとされる盆踊りに、女だけで歌われたという特性・性格から考えると、私はもっと濃厚濃密な秘め事まで含んだ、いわゆる「いざないの歌」と考えるのが妥当ではないかと思っている。
いや、この秘めたる習俗を、柳田はあえてオブラートに包んだのかもしれない。貴重で価値ある伝承文化が残ることを知ったからこそ、意図的にさりげない形で紹介したのだろう。