【口伝の妙】埋蔵金伝説のメカニズム

【口伝の妙】埋蔵金伝説のメカニズム

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

 全国各地にある埋蔵金伝説は数百にのぼると言われているが、それはおそらく権力闘争で破れ去った地方豪族や敗北者などの数に比例するのではないか。結果的に敗北したとはいえ、豊かな資金力がなかったわけはない勢力者たちは、将来的な復活・再興を信じて財宝を密かに残そうとした。戦いの最中、形成不利となれば敵側に知られることなく資金源を確保し、奪われる前にいずこかへと秘匿するのが自然な思考・行動に思うのだ。

 岩手には兜明神岳界隈の安倍貞任埋蔵金伝説がある。黄金の延べ棒9本、延べ板15枚、砂金多量と、やけに具体的なのが怪しさを醸すものの、埋蔵金自体は冒頭書いた理由で無いとはいえないように思う。

 奥州藤原氏の財宝も然りである。頼朝鎌倉軍に平泉が落とされた後、発見された藤原氏の財宝は、たったの蔵一つ分だったと鎌倉幕府の公文書「吾妻鏡」に記されている。かの藤原氏の財宝がそれっぽっちだったとは到底思えない。平泉の無量光院跡の背後に聳える金鶏山の頂に隠されたという話もあるが、過去にそこを掘ると経を収めた経筒が出てきただけだったという。

 平泉で死んだか、北へと旅立ったかは別にしても、あれだけの活躍をし、もらうものはもらって奥州に落ちて来た義経にも軍資金がなかったわけではあるまい。また伝承されていないだけで、アテルイの埋蔵金も可能性としてはありそうだ。遥か昔から陸奥、奥州は、砂金の産地であり、鉱物資源の豊かさはもちろん、山を熟知した民たちの国として、財宝を隠すための知恵もまた多かったに違いない。深山幽谷には狼や熊が棲み、信仰や掟でよそ者を封じることもできる。

 大事なのは埋蔵金伝説のほとんどが口伝で伝えられているという点だ。もちろん隠し財宝という性質上、その在りかをにおわせる古文書や地図などが残されるはずもないのだが、口伝えの場合、万人の口から口を経るうち、話に尾鰭が付く可能性は増す。真実からどんどん遠のいていくという手法、メカニズムをあえて取ったということだろうか。もう一つ思うのは、埋蔵金伝説には、理不尽にも滅亡に追い込まれた悲劇的な一族に対して、どうか祟ることなく鎮まってもらいたいという祈りが隠れているではないかということだ。これほど豊かな財宝を密かに隠しているのだから、やがて復活し一矢報いるはずだという希望の種である。

 最後に、出どころが曖昧な情報だが、昭和38年10月、岩泉町で「一分金」3890枚が発見されたという話を知った。「一分金」とは江戸時代の金貨の一つで、4枚で小判1枚分、つまり1両になる。ネットで検索すると現代の価値は「一分金」1つで3万円台から130万円。一番低価値の3万円で計算したとしても、3890枚でなんと1億1670万円になる。

 埋蔵金はいつの時代も兵どもの夢の名残りと、民衆の欲望を纏って何処かに眠っているものなのだろう。

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