第85回 八幡町界隈(前編)

第85回 八幡町界隈(前編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 6月の第二土曜日は、恒例の「チャグチャグ馬コ」。色鮮やかな装束を身に着けた馬っこたちが、チャグチャグと鈴の音を鳴らしながら、滝沢市の鬼越蒼前神社を出発。めざすは約14km先の盛岡八幡宮神社。地元では「お八幡さん」と呼ばれ、1年を通じて多くの参拝者が詣でる東北有数の神社。初詣のメッカでもあります。

 その盛岡八幡宮が鎮座する八幡町界隈は門前町として栄えた町で、開町以来三百年以上も粋で華やかな雰囲気を漂わせていました。

 もともと南部家の氏神である八幡宮は、現在の櫻山神社の裏手、烏帽子岩付近に本殿があったのですが、城内にあるため庶民は参詣できませんでした。その後、盛岡のご城下は、各地から集まって来た商人や職人など多様な階層の人々が滞留し、新興都市として発展してきたことから、民心の拠り所を作る必要性があるとみた世子・行信公が、城外に八幡宮の社殿を移すよう父の29代重信公に発願。現在地にて造成工事を行うこととなりました。

 1679(延宝7)年、約1万5千坪の広大な敷地に仮社殿を、併せて境内に220間の距離を有する流鏑馬用の馬場を造成し、翌年には正社殿、神與殿を完成させた行信公は、さらに肴町、旧生姜町と神社の間にある田んぼを埋め立てて道を作り、沿道に町家を建設し「八幡町」と名付け、城下町形成の総仕上げを成しました。

 行信公は、門前町の繁栄の後押しにと、芝居小屋や相撲場を設けたり、市日の開催日数を優遇するなど振興を図っていきましたが、沿道には一般商店よりむしろ茶屋や料亭、貸席、遊興施設が張り付き、次第に花街としての存在感を増していったのです。

 八幡宮と八幡町の相乗効果によってこの一帯は順調に発展し、1709(宝永6)年秋の例大祭にはご城下23町の町衆たちにより山車が奉納されました。爾来三百有余年、「盛岡秋まつり」は、豪華絢爛な山車が練り歩く「八幡下り」で初日を迎えることになります。ドンコドンコの太鼓の響きや笛や鐘の音と共に子どもたちの「やーれやーれ」の掛け声が聞こえてくると、盛岡っ子の心躍る感覚を呼び覚ましてくれます。

(後編へ続く)

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