第93回 〜みちくさ編〜 盛岡八幡宮境内(後編)

第93回 〜みちくさ編〜 盛岡八幡宮境内(後編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 前号に続き、300年を超える歴史の変遷の中で多くの神社が集まる盛岡八幡宮境内を散策します。拝殿から左へ歩を進めると、岩手県指定文化財の太刀や脇差などが保管されている「神宝殿⑥」、五穀豊穣・商売繁盛の守り神「笠森稲荷神社」と並び、隣には天照大神を祀る「神明社⑦」があります。「神明町」という名を今に残すこの由緒ある神社、元々は縁日に境内で生姜を売っていたことから旧町名では「生姜町」と呼ばれていた現在の南大通1丁目にありましたが、明治維新後に現在地に遷座しています。向かいの「梅宮」には、安産の神様が祀られています。

「神明社」の隣には「招魂社⑧」があります。皇軍兵士として西南戦役で戦死した岩根少尉ほか地元出身将兵の忠魂碑、そして「南部は勧皇側につくべし」と家老の楢山佐渡に自刃して訴えた目時隆之進と中島源蔵の名誉回復の撰文が、苔むした顕彰碑⑨に刻まれています。

 さらに進むと「岩手護国神社」の大社殿が静かに佇んでいます。今でこそ静寂が支配していますが、この辺りは昭和の初め頃まで遊楽の地としてにぎわっていた所です。八幡町で遊郭を経営していた大女将・大村タマがこの地に料理屋と庭園を造り、当時のお偉いさんが通い繁盛しましたが火事で全焼。裏山の茂みの中に「大村園」の碑⑩だけが人知れず残っております。

「岩手県戦没者遺品館」を過ぎ、戦争で命を落とされた方々に思いを巡らしながら石畳を進みます。鳥居を出て前方右手に建つ「草木之碑⑪」には、盛岡地方裁判所の火災から石割桜を守った庭師・藤村益治郎氏の名が刻まれています。

 駐車場を大鳥居方面へ進むと、木々の下に「明治天皇御聖像⑫」が見えてきます。1876(明治9)年7月、盛岡を訪れた明治天皇のためにこの場所に玉座が設けられ、当地が誇る四百余頭の南部駒をご披露した場所です。毎年9月に行われる例大祭では、ここで流鏑馬が披露されます。また最近では、7月に「もりおかSUMMERガーデン」が開催され、ドイツのビアホールのようなにぎわいを見せます。ビールのおいしい季節が待ち遠しい、だいたい2500歩の真冬のみちくさでした。

(後編へ続く)

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