岩泉町の安家(あっか)集落と小川(こがわ)集落の境にそびえる穴目ヶ岳は、ここ数年で山域全体が大きく進化した。小川地域振興協議会が登山者にルートを解放してから、かれこれ10年が経つ。
かつて採草地だった草原から人が去り、牛の臭いが消えれば、野原は少しずつ野生化して森に置き換わり、勢いづいた野いばらやブッシュが繁茂(はんも)する。皮膚は刺に引掻かれ、カギ裂きに破けたズボンがオジャンになったこともある。クマの気配に怯え、トホホッの連続だった。
だが近年、登山道が整備され標識を設置した。低木や高木がいい按配(あんばい)に育ち、気持ちの良い涼やかな緑陰を楽しめるようになった。グリーンシャワーを浴びながら山頂を目指す穴目ヶ岳は標高1168m、今や「進化をとげる北天の雄」なのだ。夏の盛りは、緑の大空間に圧倒される。そして秋、ナラ・シラカバやダケカンバの紅葉に彩られる。
盛岡市と岩泉町を1時間で結ぶ国道455号は、藩政時代に牛方の道であった。野田・十府ヶ浦の海岸で海水を直煮(じきに)製塩で煮詰めた天然塩が、牛の背に七日間ゆられて南部城下まで運ばれた。馬なら難儀する峠路も、牛は運搬に適したというから頼もしい。穴目ヶ岳は古くから牛に与える採草地であり、質の良い草が育つよう雨乞いをした信仰の山だった。ベコの道を歩んだ牛たちの数たるや、見当すらつかない。
登山口から林道に踏みこむと、群生したニリンソウが春を告げ、ヤグルマショウマ(矢車升麻)やホトトギス(杜鵑草)が秋へとつなぐ。薬として利用したイチヤクソウ(一薬草)を草むらで見かけた。九段きっちり数えたことはないけれど、輪に互生した葉はクガイソウ(九階草)であろう。
山頂は西側の展望がすこぶる良好。盛岡と葛巻と岩泉を結ぶ広大な北上山地を眺め、牛の旅路を重ねあわせた。