山の神とはいったい何なのか。「遇いたい」と思い立ち、新年早々に普代村の卯子酉山へ出かけた。登山口は、義経北行伝説にまつわる鵜鳥(うねとり)神社である。1190年にこの地に辿りついた義経が、子を育てる鵜を神の鳥とみなし、命名したと伝承する。人々は親しみを込めて神社を「うねどり様」と呼ぶ。
山の神霊を獅子頭にうつし、人の目に見える姿である権現様に化身する。神楽は山伏神楽。年初めの習わしにより、神楽衆は「舞立ち」を山の神に奉納する。神主さんのお話しによると「山の神は、山から決して動くことはありません。代わって権現様が、里の願いを聞いて廻ります」。
家内安全・大漁祈願・縁結び・安産や合格祈願のほか、小さな願いも山の神へお伝えしなければならない。私はさらにお聞きした。「では、どのような方法で山の神へ願いごとを届けるのですか」。しばし唸っていた神主さんだったが「テレパシーです」とにっこり。そうか、山の神と権現様はデジタル空間で交信しあうのだ。やっと腑に落ちた。
小さな神道橋を渡りきると神域である。大粒の雪が音を呑みこみ、杉の参道は静まり返っている。うがい場で身を清め、紙縒り(こより)の浮き沈みで占うお縒り場へ進み、薬師様に一礼。樹齢800年の夫婦杉より133段の石段を登って本殿(奥宮)へ向かう。本殿の裏からお岬様の展望地まで足をのばすと、天測点台座のある男和佐羅比山(おわさらびやま)や青い大海原を一望できる。
卯子酉山は一等三角点の山である。石段を登りつめた鳥居の手前から、左の尾根へ200m進み、広場より小さい尾根に取りつけば、ちゃぶ台のような狭いピークに立つ。
神楽の最後に舞う「山の神」は、恐ろしいほどに身を振るわせ、跳ね飛び、地を蹴り、激しく念じる。山の神は決して山から離れない。

