【第68回 鏑木山(かぶらぎやま) 671.8m】下るだけ 登るだけ

【第68回 鏑木山(かぶらぎやま) 671.8m】下るだけ 登るだけ

ほくほくトレッキング
阿部陽子のほくほくトレッキング
(公社)日本山岳会岩手支部 支部長 阿部陽子さん

 遠野市綾織にある鏑木山は、歩き方がユニークで他の山にみられない面白さがある。頂上を目指して登るはずなのに、出発時から下るだけで一向に登る気配がない。

 高清水山(たかしみずやま)のパラグライダー発進基地横の標高757m点ゲートから作業道を下ると、牛用水飲場のある牧野に行きつく。草地の端っこを歩いて小高い680m点に上がる。これより動物の踏み跡や壊れた牧柵をたよりに低木帯を進むと、右手に立派な土塁が現われる。このラインに沿って平坦な尾根をつめれば、山頂の大岩に導かれる仕組みだ。鏑木山は往路が下る一方だし、逆に復路は登り一辺倒で歩く。

パラグライダーの飛出し口から鏑木山を見おろす。鏑矢の風吹く路に、馬の駿足・牛のんびり

 ところで鏑木という矢の鏃(やじり)の根もとに付ける木製の鳴り物をご存じだろうか。卵の形をした鏑は中が空洞。矢が放たれるや、小さな孔から空気が流れて、鏑が「ピュー」と口笛を吹く。この仕掛けを付けた矢が「鏑矢」(かぶらや)である。

 武士が台頭した時代、合戦において、対峙する敵に向って「いざ戦わん!」と宣戦布告の意味で鏑矢を放ったという。1187年、頼朝は鶴岡八幡宮の神事として馬上から的を射る「流鏑馬」(やぶさめ)を奉納した。16世紀の戦国時代、川中島を挟んで睨みあった武田信玄と上杉軍は、この音響とともに幾度となく火ぶたを切ったのだった。

 娘と馬の伝説「おしらさま」で知られる遠野は馬産地である。登山中にたびたび土塁に出くわすが、その一帯で馬の放牧が盛んだったことが分かるし、牛を放つならバラ線の囲みが必須だった。もし土塁とバラ線が近くにあれば、馬から牛の飼育に切替わったことが読み解ける。——馬は土塁を越えない、牛は難なく越す——

 妙な言い方だが、スタート点から100m低く登る671mの鏑木山は、山頂に巨岩と三角点がある。眼下に流鏑馬で有名な遠野郷八幡宮の森が広がる。山頂へ下りながら登る山も珍しい。

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