第94回 〜みちくさ編〜 旧四ツ家町界隈(前編)

第94回 〜みちくさ編〜 旧四ツ家町界隈(前編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 金田一京助や石川啄木など、先人たちが青春時代を謳歌した旧四ツ家町界隈。カトリック四ツ家教会から仁王小学校に至る現在の本町通二丁目を歩いてみます。

「四ツ家」という町名は、文字通り四軒の家があったことに由来し、そのうちの一軒が「旧上小路界隈」に登場した大和の国(奈良県)から招聘した茶商の住まいだったと伝えられています。

 カトリック四ツ家教会は、1880(明治13)年に最初の聖堂が建設されました。外観は明るいゴシック風、当時の内部はドーム型の天井に畳敷きと和洋折衷の造りだったそうです。1912(大正元)年に建てられ1977(昭和52)年まで当地にあった旧盛岡天主堂は、厨川の盛岡大学附属高等学校構内に移築されており、昨年12月に国の有形文化財に指定されました。昭和40年代に本町・上田線の新道が教会の横を貫通するまで、隣には教会と似たような色調とデザインの四ツ家交番がありました。現在の盛岡中央郵便局の場所に校舎を構えていた盛岡白百合学園中学高等学校の生徒さんが、交番の前に並び赤い羽根募金をしていた姿が懐かしく思い出されます。

 信号を渡り仁王小学校方面へ。老舗洋食店ユキノヤ①の手前角に、銭形平次の原作者・野村胡堂が盛岡中学時代に下宿した「猪川塾」がありました。当時、師範学校の先生をしていた猪川静雄という人が、胡堂のように県内各地から学びにきた若者たちの面倒を見ていた場所。自然と盛岡中学の生徒の溜り場となり、胡堂がいた頃には田子一民(衆議院議長)をはじめ及川古志郎(海軍大臣)、郷古潔(三菱重工会長)、石川啄木、金田一京助などがよく集まり、文学論を語ったり歌を詠んだりしていたそうです。以前は「猪川塾跡」のレリーフスタンドが設置されていましたが、残念ながら撤去されてしまいました。

 角を左折すると本宿家という立派なお屋敷があり、その向かいに金田一薬局があります。店頭横のステンレス製の案内板を見ると、この場所がアイヌ研究の第一人者、言語学者、文化勲章受賞者であり、石川啄木の恩人であり、盛岡市名誉市民第一号である金田一京助博士生誕の地と記されています。

(後編へ続く)

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