ジャズと暮らす喜び

ジャズと暮らす喜び

インタビュー
すぺいん倶楽部 オーナー 西部 邦彦さん
すぺいん倶楽部 オーナー
西部 邦彦さん
(81)

● ラジオから聞こえるサクソフォンに心酔

 僕にとって音楽は生活そのもの。そう話すのは、盛岡市のジャズバー「すぺいん倶楽部」オーナーの西部邦彦さん。中学生でサクソフォンを吹き始め、これまで何千回ものステージで演奏してきました。現在も自己のバンドの他、イベントに携わるなど現役として活動しています。

「芝居や楽器好きの粋な祖父がいたことや、実家にあった三味線、尺八、浄瑠璃のテープを聴いていたことが僕のルーツじゃないかな」。小学生の時に在日米軍向けのラジオ放送を聞き始め、それがジャズとは知らずにサクソフォンの音に魅了されました。中学生になると、自分で組み立てたラジオをチューニングして、日本中のラジオ番組を夢中で聞き、「東京の祖父のところに遊びに行った時に、田原町のコマキ楽器でサクソフォンを買ってもらいました。よっぽどごねたんだろうね」と笑います。

 盛岡一高では楽器好きが集まるサークルに入り、一緒にジャズを演奏する仲間ができました。「未成年だから本当は出入りしちゃいけないんだけど、ギャラをもらってダンスホールでタンゴとか演奏しましたね」と、ダンスホール全盛期を懐かしむ西部さん。高校卒業後は、サクソフォンプレイヤーを目指し武蔵野音楽大学に進学。日本で最初のサクソフォン指導者として知られる、阪口新氏の元で学びました。

 東京オリンピックが開催された1964年に大学を卒業し、八重洲にある株式会社巴弘告社に入社。「テレビコマーシャルがはやり始めた頃で、音楽で広告をしようと思って。勢いのあるいい時代に随分面白い仕事をさせてもらったな」。ジャズ喫茶やライブに足を運び、趣味として音楽を続けながら充実した日々を送っていました。

● 盛岡に戻り自分の居場所を作る

「ところが祖父母が年取ってきて、実家に戻らなければならなくなった」。盛岡に戻り家業の金物屋を手伝いながら、1972年に盛岡市三戸町中央通2丁目に「西班牙館」をオープンしました。「生活の中に音楽がある、自分の居場所が欲しかった」と西部さん。同時に、盛岡一高の大先輩の勧めで「IBCニューサウンドオーケストラ」に加入。昼は金物屋、夜は西班牙館、時々オーケストラという三足のわらじ生活が始まりました。さらに、自分のバンドを売り込んで「キャバレーソシュウ」と契約。一回40〜50分のステージを毎日4〜5回こなし、終われば自分の店へ。「音楽が好きで、若いからできたこと」と、寝る間もないほど音楽が溢れる暮らしを楽しみました。

 その後、1980年に「パブホール 西班牙館 大通店」として移転リニューアルし、店内でライブをするスタイルに。1987年に「すぺいん倶楽部」に改名し、2020年に現在のシグナスビル3階に移転しました。オープンから50年、震災もコロナも乗り越えてきた西部さんですが、昨年9月に病に倒れました。「退院して3カ月ぶりに店に来て、カウンターでコーヒーを飲んだらすごくうまいんだね、ジャズが心地良くて。やっぱり僕の居場所はここなんだと改めて感じた」と話します。夏ごろのライブ復帰に向けてウオーキング、スクワットなど体力作りを始めました。「入院中、病室にはテレビしかなくてジャズがなかった。音楽のない世界なんて生きていけない」と西部さん。お客さまとスタッフ、そして何より自分のために、ジャズが心地良く流れる極上の空間を提供し続けていきたいと話します。

ジョン・コルトレーンとスタン・ゲッツに影響を受ける

ジョン・コルトレーンとスタン・ゲッツに影響を受ける

プロフィール

1941年、盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校から武蔵野音楽大学へ進みサクソフォンを専攻。卒業後は株式会社巴弘告社(現:株式会社TOMOE)で広告営業に従事。1972年に盛岡に戻り「西班牙館(すぺいんやかた)」をオープン。1987年に店の移転と同時に「すぺいん倶楽部」に改名し現在に至る。楽器が発する生の音にこだわり、国内外の一流ミュージシャンのライブをプロデュース

この記事をシェアする

Facebook
Twitter