さんさ踊りがつなぐ絆

さんさ踊りがつなぐ絆

インタビュー
盛岡民踊愛好会・ さんさ踊り集団「遊佐会」代表 遊佐 齊さん
盛岡民踊愛好会・ さんさ踊り集団「遊佐会」代表
遊佐 齊(ひとし)さん
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● さんさ踊りに魅き込まれて

 夕方になると、どこからともなく太鼓や笛の音が響き渡り、いつもの夏がやっと戻ってきました。3年ぶりとなる「盛岡さんさ踊り」の開催に、喜びと期待が大きく膨らみます。

「太鼓を叩いた時の音がいいじゃないですか」と話すのは、盛岡民踊愛好会・さんさ踊り集団「遊佐会」代表の遊佐齊さん。人生の大半を、さんさ踊りと共に歩んできました。その出会いは、遊佐さんが4歳の時。太鼓の音に誘われて、自宅近くにある「矢次白山神社」に足を運ぶと、例大祭前日の宵宮で「矢次白山神社流矢次さんさ踊り」が奉納されていました。その躍動的な光景に「いや〜なんたらいい踊りだべ」と感動したといいます。「戦争で両親を亡くし兄弟もいなかったから、いつも一人ぼっちでね。太鼓や笛の音が聞こえるとワクワクして、隣の部落まで歩いて見に行ったものです」と遊佐さん。見よう見まねで踊り始め、次第に踊りの輪に溶け込み、どんどん魅了されていきました。

 大好きなさんさ踊りの魅力を伝えたいと、昭和45年に赴任した田老町立(現:宮古市立)田老第一小学校で初めてさんさ踊りを指導した遊佐さん。学習発表会で「矢次さんさ踊り」を披露し、そこから「田老さんさの会」の結成へとつながりました。盛岡市立上田小学校では運動会で発表する「統合盛岡さんさ踊り」を指導してほしいと依頼され、さんさ踊りの太鼓が好きな子どもたちを募りました。「一人一人の性格を見て、自主性を持ってもらえるように太鼓の指導をしました。毎朝みんなで練習をするようになり、その甲斐もあって本番では一体感のある素晴らしいさんさ踊りを披露しました」と遊佐さん。今でも「遊佐会」メンバーとして活動を続けている子もいて「遊佐先生」と慕っているそう。田老町(現:宮古市田老地区)、矢巾町、八幡平市など県内各地の赴任校でさんさ踊りの指導を続け、一緒にパレードに出場するなど今でも交流が続いていると言います。

● 盛岡さんさ踊りの立ち上げに尽力

「盛岡さんさ踊り」の始まりは昭和53年。その2年前に、伝統さんさの18団体による「盛岡さんさ踊り振興協議会」が組織されました。「当時は『盛岡川まつり』という夏祭りがありましたが、盛岡の人はさんさ踊りが好きだし、見るお祭りから参加するお祭りにしようと動き出しました」と遊佐さん。当時の盛岡市長の工藤巌氏から依頼を受け、「盛岡夏まつり・さんさ踊り振興協議会」の指導普及員として、地域ごとの多種多様な「伝統さんさ踊り」をベースに、誰でも踊れるような「統一さんさ踊り」の考案に携わりました。その踊りは「統合さんさ(一番)」「七夕くずし(二番)」として、40年以上の時をつないで現在も大切に踊り継がれています。

 第1回目から毎年パレードに出場してきた「遊佐会」ですが、コロナ禍で集まって練習することができず、メンバーはピーク時の300人から20人まで減少。今年は例年通りの参加人数が集まらなかったのですが、盛岡市のマリオスで行われる「伝統さんさ踊り競演会」へ出演することになりました。「1回目から欠かさずに出場してきたパレードに出られないのは本当に残念で悔しいですが、今年の5月に秋田市で行われた『東北絆まつり』にも出ましたし、今年は秋頃まで出演依頼がいろいろと続いています。メンバーも徐々に戻ってきているので、来年こそはパレードに」と意気込みを語る遊佐さん。「遊佐会」や「田老さんさの会」メンバーには、教員時代の教え子もいます。宮古市や八幡平市には、「遊佐会」と一緒にパレードに参加してきた仲間がいます。さんさ踊りを通じて人と人とがつながり、その絆が脈々と続いていることが「何よりも嬉しい」と笑顔の遊佐さん。「遊佐先生」と慕ってくれる人がいる限り、100歳になってもさんさ踊りを続けていきたいと話してくれました。

岩手県に生息する虫の記録をまとめて県立博物館に寄贈する予定
岩手県に生息する虫の記録をまとめて県立博物館に寄贈する予定

プロフィール

1945年、満洲国牡丹江市生まれ。戦争で両親と死別し矢巾町の母の実家で祖父母に育てられる。岩手県立盛岡工業高等学校卒業後、百貨店勤務を経て教員に。県内各地の赴任校でさんさ踊りなど郷土芸能を指導。今年45回目を迎える「盛岡さんさ踊り」の立ち上げメンバー

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