● 大工の父への憧れがもの作りの原点
三角形、四角形、楕円形のタイヤを装着した、普通じゃない自転車の数々。これまで28台のおもしろ自転車を生み出したのは「まっとうじゃないものを作るので、邪(よこしま)な発明家です」と話す北上市の小原隆規さん。体を上下に揺すって反動で進むペダルでこがない自転車は、県内外のテレビやラジオでも紹介されました。
子どもの頃は引っ込み思案だったという小原さん。父が大工の棟梁だったこともあり、材料も道具も周りにある環境で育ち、木の切れ端で船を作っては、ひとりで近くの小川に流して遊んだといいます。「小学校の作文では、父のような大工になりたいと書いていましたが、鉄腕アトムみたいに背中に付けたジェットエンジンで空を飛んで、楽に木材を運んで家を作りたいと、夢のようなことも書いていました」と当時から独自の発想を膨らませていたと話します。夏休み、冬休みには宿題より先に工作を作り、何度かクラスの代表に選ばれることも。「人前で発表するのは苦手でしたが、代表に選ばれるうちに自信がついて引っ込み思案を克服できたのかもしれない」と小原さん。
高校生時代には、廃材屋に行ってはパーツ購入し、組み合わせで自転車を作りました。「自分で作れるなと思って。当時憧れだったはやりのドロップハンドルを付け、ブレーキも上下に2つ付けて毎日通学で乗りました」。この経験が、現在のおもしろ自転車作りにつながっているといいます。
● もの作りは可能性への挑戦
おもしろ自転車を作るきっかけとなったのは「びっくり日本新記録」というテレビ番組だったといいます。「テレビで、自作人力水陸両用自転車レースの募集があり、これなら作れるなと思って設計図を書いて送ったら審査が通ったんです」。これにより、おもしろ自転車第1号の「水陸両用自転車・パロディカバイクル」が誕生しました。「ただ、実際に行ってみると他の作品の作り込みに圧倒されて、自分の未熟さを思い知らされました」。それでも諦めることなく翌年は「二人乗り四輪自転車・流星号」で再挑戦。「そのうち顔見知りになり、もの作りの好きな人の集まりができてきました」と小原さん。テレビに出たいというより作品を作りたい、その作品を仲間と見せ合いたいという思いで5年間で6回も出場。設計図の審査が通ってから番組収録まで2週間程度で作らなければならないこともあり、ガレージで夜遅くまで作業し、寝不足で仕事に行くこともありました。「それでも挑戦し続けたのは、やはり日本一になりたかったから」。日本一の称号と当時20万円くらいした夢のビデオデッキを手に入れるべく挑戦を続けましたが、惜しくも結果は2位が最高記録だったといいます。
小原さんにとって発明とは、自分の可能性を試す挑戦だといいます。自転車に限らずこれまでさまざまな発明品を生み出し「岩手県発明くふう展」では最高賞の「東北経済産業局長賞」を4回受賞しました。買えば手に入るものでも自分で作ってみよう、工夫してみようという気持ちを持つだけで日常の中に気づきが生まれ、発想が広がるといいます。「自転車でなくても自分の周りのもので、もっと良くできないかなって工夫してみてください、好奇心を持って日常生活を送ると、楽しくできることってたくさんあるんです」と小原さん。アイデアを形にする過程を楽しみ、作品を見た人が「何これ、変」と驚く反応を原動力に、もの作りへの情熱はますますヒートアップしていきます。