コレラ蔓延を防いだ後藤新平

コレラ蔓延を防いだ後藤新平

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 新型コロナウイルスの感染が続いていますが、感染者が飛びぬけて多いのが東京です。小池百合子都知事は海外からの感染を未然に防ぐため、後藤新平の対策から学んだそうです。

 後藤新平は1857(安政4)年、現在の奥州市水沢に生まれ、医師の道を歩みます。福島県須賀川医学校入学後、名古屋市の愛知病院に勤め、オーストリア人のローレンツ博士から西洋医術と衛生学を学びました。優れた才能が認められ、24歳で愛知病院の院長に抜擢。その後、ドイツへ私費留学して衛生制度や社会政策を学び、帰国後は内務省衛生局長に就任しました。

 そして、その経験が生かされる機会がやってきました。1895(明治28)年3月、日清戦争で勝利した日本ですが、23万人もの帰還兵が船で上陸しようとしていたのです。当時の中国(清(しん))ではコレラが蔓延していて、そのまま上陸すれば国内での大流行が懸念されました。

 新平は衛生部門の責任者として、空前の大検疫(けんえき)所を彦島(山口県)など各地に設け、大規模な検疫を実施、コレラの蔓延を未然に防ぎました。その実績が評価された新平は政治家に転身し、逓信(ていしん)大臣、外務大臣などを経て1920(大正9)年、東京市長に就任。1923(大正12)年9月1日、関東大震災に見舞われた東京を見事に復興させたことでも知られています。

後藤新平像(水沢公園)
後藤新平像(水沢公園)

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