柳田国男と新渡戸稲造

柳田国男と新渡戸稲造

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 代表作『遠野物語』で知られる柳田国男(やなぎたくにお)は日本の民俗学のいしずえを築いた人ですが、新渡戸稲造(にとべいなぞう)の影響を受けたと知っている人はあまり多くないかもしれません。

 柳田は明治8(1875) 年兵庫県に生まれました。青年時代は詩を愛する文学青年で、島崎藤村(しまざきとうそん)や田山花袋(たやまかたい)らと親しく付き合っています。東京帝大を卒業し農商務省など官界で働きはじめますが、新渡戸稲造の『農業本論』を読んだことで、民俗学の重要性を認識するようになりました。柳田は次第に文学からは遠ざかり、明治 43 (1910)年からは新渡戸と共に郷土会を主宰するようになります。民俗学にのめりこんでいったのです。

 新渡戸はその後国際連盟事務次長に就任しますが、柳田は新渡戸の推挙で、大正10(1921)年6月~大 正12(1923)年9月までスイスのジュネーブに滞在し、国際連盟委任統治委員の仕事をしました。

 柳田は英語やフランス語のほか、ポーランドの眼科医ザメンホフが発表した人工国際語エスペラントにも 堪能で、地元のエスペラント団体のメンバーとエスペラントで交流しています。柳田は帰国後、方言のほか 幅広く民俗学を極めますが、スイスでの体験により日本の民俗を国際的な視点で見ることができるようになったのです。

「とおの物語の館」前にある柳田国男像

「とおの物語の館」前にある柳田国男像

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