教育者・国際連盟事務次長として活躍した盛岡生まれの新渡戸稲造は、類(たぐい)まれなエッセイストでもありました。在米中の明治33(1900)年に英文で出版した『武士道』は日本を知るための書として高く評価され、世界的なベストセラーとなりました。『武士道』は第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトが愛読したことでも知られています。
宮沢賢治は盛岡中学校(現盛岡第一高校)に入学したばかりの明治42(1909)年6月25日、第一高等学校校長だった新渡戸が「黙思(もくし)の習慣を養うよう生徒に訓話」した際、聴衆の一人でした。賢治は後に、ポーランドの眼科医・ザメンホフが1887年に発表した人工国際語エスペラントを独習しますが、それには新渡戸の影響を感じ取れます。
新渡戸は国際連盟事務次長時代の大正10(1921)年エスペラントを擁護(ようご)する姿勢を示し、同年8月、チェコのプラハで開催された第13回世界エスペラント大会に国際連盟を代表して出席しているのです。日本でエスペラントブームが再燃するのはその翌年のことで、ブームに乗った一人が賢治でした。世界の読者に読まれたい、その思いでエスペラントに接近した賢治にとって、現実に「世界で読まれた」新渡戸は目標とした存在だったと思われます。
新渡戸は札幌農学校(現北海道大学)二期生ですが、母校には新渡戸の像が建てられています。