原抱琴と正岡子規

原抱琴と正岡子規

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 俳人として活躍した原抱琴(はら ほうきん)、本名達(とおる)は1883(明治16)年2月5日、父 恭(ゆたか)の次男として盛岡に生まれました。幼い頃から聡明で1895(明治28)年岩手県尋常中学校(現 盛岡一高)に入学しますが、3年時に東京府立日比谷中学校(現 日比谷高校)に転校しました。東京では叔父である原敬(父 恭の弟)の家に寄宿しています。

 盛岡時代から文芸活動をしていた抱琴はやがて、正岡子規の門下に入りました。子規の叔父・加藤恒忠(つねただ)は司法省法学校時代の原の友人でした。句会に出るようになった抱琴は、次第に俳句の才能を認められるようになりました。子規の弟子・高浜虚子(きょし)が主宰する例会では最高点を得ています。1900(明治33)年に第一高等学校に入学、在学中は子規が勤務していた雑誌『日本』の俳句欄に多数採録されました。そのかたわら盛岡に帰省するたびに中学校の後輩に俳句を教え、結社「杜陵吟社」を誕生させました。

 抱琴は病弱で、休学後に東京外国語学校、東京帝国大学へと進学しますが、卒業前に肺尖カタルが再発し、1912(明治45)年1月17日、満28歳の若さで亡くなりました。原敬も俳句をたしなみましたが、抱琴の影響といわれています。原敬と同じ盛岡の大慈寺に抱琴は眠っています。 

愛媛県松山市 正岡子規の句碑
正岡子規の句碑 (愛媛県松山市)

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