デジタルで世界を変える

デジタルで世界を変える

インタビュー
AP TECH 株式会社 代表取締役
大西 一朗 さん
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● 自分を変える努力

インターネットの普及とともにデジタル技術も進化を続け、身につけられるウエアラブル端末なども身近になり生活に欠かせなくなりました。そんな可能性を秘めるデジタル技術で世界を変えたいと熱意を燃やすのがAP TECH株式会社代表の大西一朗さん。アップルジャパンなど海外IT企業に勤めデジタル製品の設計や開発・販売に携わってきた人物です。

大西さんは3人きょうだいの長男として盛岡に生まれ、高校を卒業後は一年浪人し東京の大学へ進学します。「人一倍努力してきたが才能がある人には勝てなかった。誰にも負けないものがないと未来はないと思い大学二年生のときに、英語のニュースなどを聞き続け頭に染み込ませるという学習をしました」と繰り返し続けるうちに流ちょうな会話ができるほどの語学力が自然と身についたそう。

大学を卒業し数年後、就職した会社で自分だけのスキルを得ようと孤軍奮闘。慣れないパソコン作業で疲弊しますがMacが導入され衝撃を受けたと言います。「当時、デスクトップ型パソコンは珍しく操作が簡単で初めて買いたいと感動しました」と振り返ります。Macに魅了された大西さんは詳しいことを聞きにアップルに足繁く通い、持ち前のハングリー精神とその熱意を買われスカウトされます。憧れの会社で働きたいと大西さんは入社を決意。抜群の語学力で外国人社員とも難なく交流を深めていきます。

● 新しい技術が世界を変える

 アップルに転職したとき、製品のユーザーは少なく展示会を開いてもなかなか人が集まらなかったそう。「展示会で人の列を作りたくて、思いついたのがアップルのボールペンをノベルティとして配ることでした。とても好評で開場前から行列ができ展示会は大盛況でした」とこれを機に今までにないマーケティング戦略を次々と編み出し売上を伸ばし、日本でのアップルの認知度を上げていきました。

 さらなるやりがいを求め他のIT企業に移籍した大西さん。40歳で世界の価値が変わる瞬間を目にしたと言います。「インターネットが普及する前で、勤めていた会社にIPの技術があり応用してIP電話の開発をし世に出すことができた。それにより電話やメール、サイトの閲覧などインターネット回線だけで行えるようになり、データ通信のあり方に影響を与えた。現在のようなインターネットが当たり前になるきっかけとなる、世界的なイノベーションの現場に立ち会えた」と大西さんにとって忘れられない出来事になりました。

● 岩手から世界へ新たな価値を発信

 多忙ながらも順調な毎日を送っていた大西さん、57歳のとき脳梗塞を患います。「自分が病気になるとは思いもしなかった。倒れる数日前、バイタルの数値がおかしかったのでウエアラブル端末に毎日数値を記録し平均的なデータを取れば、体の異変に気づき重篤化を防げるのではと考えました。同時期に岩手の両親が自宅で転倒したり、耳が遠くなり電話に気づけず出れなかったり、万が一のとき心配でした。きっと同じ状況の人は多いはずと思い、離れていても家族を見守れるシステムを作ろうと決意しました」と大西さんの新たな挑戦が始まりました。

 起業場所を探していたとき、八幡平市のITで起業したい人を集めたプログラミングスクールの存在を知った大西さん。ハイレベルで驚き、ここの出身者と開発したい、ここをシリコンバレーのようなIT企業が集い新しい産業を生み出す場所にしたいとAP TECH社を八幡平市に設立。「操作に慣れない人でも使える構造と助けを呼べる仕組みの設計に苦労しましたが、医療者や技術者、みんなで議論を重ね心拍数や歩数などの情報を計測し共有できるよう開発。体調の変化を察知でき、もしものときはすぐに助けが呼べる見守りアプリHachiが誕生しました」と完成まで長い道のりだったそう。「今後は世界中の人がHachiを使えるようにしたい」と意気込む大西さん。その熱意はインターネットのように世界に広がっていきます。

海外IT企業で働く大西さんと仲間たち。海外では、学歴は働くのに関係ないと強く実感したそう

プロフィール

1959年、盛岡市出身。日本大学芸術学部を卒業後、1年間のアメリカ留学を経験。アップルコンピューター株式会社、ライブピクチャージャパン株式会社、シスコシステムズ株式会社などでデジタル製品の開発やマーケティングの仕事に携わり、現在はAP TECH株式会社代表取締役を勤める。見守りアプリ「Hachi」は八幡平市の"はち"が由来となっている

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