● 歌との出会いと別れのコンクール
「歌うまおばあちゃん」と親しまれ、福祉施設や学校などで伸びやかな歌声を響かせる吉田久子さん。昨年「クロステラス盛岡」で開催したコンサートでは、一人で9曲を歌い上げるなど、年齢を感じさせないパワフルな活動を続けています。
初めて人前で歌ったのは、盛岡市立桜城小学校1年生の時。「名前を呼ばれても返事もできないような人見知りだったんですが、担任の先生に勧められて学芸会で『ねずみの嫁入り』を歌ったのが最初です」と久子さん。6年生の時には、盛岡駅前のお祭りで大人に混ざり「のど自慢大会」に飛び入り出場したことも。学校で習ったばかりの「おおスザンナ」で予選を通過し、本番では「灯台守」を歌い見事3位に入賞。「カレーライスが80円の時代に、賞金を200円いただきました」と嬉しそうに話します。
岩手女子中学校に入学すると、嬉しい再会が。「音楽の先生がお祭りで歌の審査員をしていた方だったんです」と笑顔に。その先生に誘われて、歳末助け合いやイベントなどで歌う機会が増えていきました。ピアノやヴァイオリン、クラリネットなど、久子さん以外はメンバー全員が大人の方でした。「その中にすごく親切にしてくださる方がいてね。ところが、ありがとうも言えないままその方が急に亡くなってしまったんです。私は16歳くらいだったかな。今思えば、淡い恋心を抱いていたのかもしれませんね」と静かに話す久子さん。ちょうどその頃、コロムビアレコードのオーディションの話が耳に入りました。気持ちに区切りをつけ、亡くなった方へのせめてもの供養のためにと応募を決意。そして、人前で歌うのはこれで最後にしようと決めたのでした。結果は2位入賞、東京で歌の勉強をしてみないかと誘われますが全てを断り楽譜も処分、久子さんは完全に歌を封印してしまいました。
● 60年以上の時を経て再び歌い始める
しばらく歌うことから遠ざかっていた久子さんですが、新聞の記事に懐かしい先輩の名前を見つけ、連絡を取りました。オーディション以来全く歌っていない久子さんに、その先輩は「歌はいいものだから歌いなさい」と背中を押してくれたといいます。
こうして久子さんは再び歌と向き合い、79歳の時に歌声を解き放ちました。音楽教室で久子さんを指導するtOmozoさんのプロデュースで、オリジナル曲「花として生きて」を80歳でリリース。「初めて楽譜を見た時は、すごくいい曲だけど難しくて覚えられないかなと思いました」と当時の不安を振り返ります。それでも、せっかく先生が作ってくれた曲だから歌わなければと思い、3カ月かけて練習し仕上げました。昨年7月には、2作目となる「岩手の子守唄」をリリース。2人の娘さんたちも、再び歌い始めた母の挑戦を優しく見守り、応援しています。
● 音楽の力に感動 ずっと歌い続けたい
さまざまなシーンで歌う機会の多い久子さんには、忘れられないエピソードがあります。「老人福祉施設の慰問にうかがった時のことです。施設の方が話しかけても表情もなく、全く反応しない一人の女性がいました。その方が、私が歌い出した途端に手拍子をとり、声は出ていませんでしたが口を動かし始めました。音楽の力はこれほどすごいものなのかと感動しました」と表情を輝かせる久子さん。施設の慰問は、エネルギーをいただいて帰ってくることが多いとのこと。毎回緊張しますが、少しでも楽しい時間を過ごしてくれれば嬉しいし、誰かのためになるならば歌い甲斐があって楽しいと話してくれました。
最近、久子さんはザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌い始めました。「秋に音楽教室の発表会があるんですが、私よりずっと若い女性から一緒に歌いましょうとお誘いいただきました」と嬉しそう。若い仲間から元気をもらい、教室に通うことで足腰も鍛えられ、こうして歌を歌うことが心の支えになっているといいます。歌うことで歌詞の世界に入り込み、時間をさかのぼる「現実逃避」を楽しみながら、声が枯れる直前まで歌い続けていきたいと話す久子さん。レッスンルームには今日も、心に染み入る叙情的な歌声が響いています。