● 雨漏りに照明ダウン ハプニングの連続
岩手国体の開催に合わせて1970年4月に完成した岩手県営野球場。プロ野球、高校野球をはじめ数々の感動の舞台となった球場が、52年の歴史に幕を下ろします。
「今後も野球場として使うことは可能ですが、老朽化が深刻です」と話すのは、野球場長の菊池修一さん。「中学生の野球大会の途中で、突然スコアボードが消えた時は冷や汗かきました」と続けます。外壁やフェンスのヒビ、雨漏り、照明ダウンなどトラブルが続く中、古い設備のため復旧も一筋縄ではいかず、専門業者とスタッフが知恵を出し合い、何度もピンチを乗り越えてきました。就任から4年、故障なく安全に施設を利用していただけるよう、維持管理には特に気を遣ってきたといいます。「ギリギリのところまで踏ん張ってくれましたからね、もういいんだよ、これ以上頑張らなくて。本当に長い間大変お疲れさまでした」と、球場への思いを語ります。
● 雄星、大谷、朗希が投げた思い出の球場
岩手の高校球児の聖地と呼ばれてきた岩手県営野球場。菊池雄星選手、大谷翔平選手、佐々木朗希選手も、この聖地のマウンドに立ち甲子園を目指しました。「記憶に残っているのは、着任した年の夏の大会で、大船渡高校の佐々木朗希選手が160キロを出したことです」と菊池さん。「あまりのスピードに、某スポーツ紙の記者がスピードガン大丈夫ですかと確認に来たほどです」と振り返ります。甲子園を目指す選手にとって、一試合一試合が人生を賭けた大勝負。イレギュラーバウンドなど整備の良し悪しが試合を左右するようなことがあってはならないと、グラウンド整備にも細心の注意を払ってきました。「ここは土の球場なので整備に手間がかかります。春先にグラウンドの土を掘り起こし、柔らかくしてから固める作業を毎年約一カ月かけて行ってきました」。試合後の整備にも時間がかかるため、延長戦になるとその日のうちに整備が終わらず、翌日早朝から作業を始めることも。「良い状態でプレーしてもらえるよう見えない努力を続けてきました。うちの整備は職人の域に達しています」と菊池さん。閉場を目前に控え、改めて整備スタッフへの感謝の思いが込み上げます。
岩手県営野球場は3月31日で閉場し、4月からは「きたぎんボールパーク(いわて盛岡ボールパーク)」がその役目を引き継ぎます。「3月21日までは見学もできます」と菊池さん。普段は入ることのできないベンチや、6月のプロ野球ラストゲーム後に東北楽天ゴールデンイーグルスの選手たちがこっそりサインを残した控室など、都合が合えば案内してくれるとのこと。それぞれの思いが詰まった岩手県営野球場へ、最後に足を運んでみませんか。
52年間お疲れさまでした。記憶と記録に残る数多の感動と思い出をありがとう