● どんなときでもピンチはチャンス
透き通った歌声が印象的な「岩手県立不来方高等学校音楽部」。長年、合唱指導してきた村松玲子さんは「険しい道を選びなさい」、「ピンチはチャンス」と生徒に教えながら共に夢に向かって走り続けてきました。
村松さんと合唱の出会いは小学校3年生のとき。両親の勧めで地元の合唱団に所属したのが始まりでした。学校の合唱部にも入部し、高校では部長も務め、いつか全国大会の指揮台に立ちたいという夢を抱きます。そのため東京の大学に進学し音楽の教員免許を取得。赴任先の軽米高等学校で念願の音楽部顧問に就任します。「部員が2人しかいなくて、なんとか人を集めて4年後には東北支部大会に出場できました」と次の大会に向けて意気込む矢先、不来方高校への転勤の話が舞い込みます。「生徒に話すと『先生はいつまでもここにいちゃいけない、私たちのように不来方高校の子たちを全国大会に連れて行ってあげて』と言われて驚きました。その言葉が胸に響いて不来方高校へ行く決心がつきました」と軽米高校の生徒だけでなく、町のみんなが村松さんを送り出してくれてドラマのようだったと振り返ります。
新たな希望を抱き、不来方高校へ赴任した村松さん。ここでも音楽部の顧問を務めますが最初は体制が整っていなかったと言います。「練習日などきちんと決まっていませんでした。ですが練習しないと全国大会に行けないので部員に声をかけ続けましたね」。初めは聞いてもらえなくて大変だったそうですがピンチはチャンスと捉え、呼びかけを続けました。するとその思いが伝わり生徒たちも心を開くように。次第に指導にも熱が入り、部員たちも気持ちを切り替えて練習に臨んだと話します。「東北大会にいけることになり、とにかく短期集中で練習して相当燃えました。ですが、あと一歩で全国大会を逃してしまい生徒たちはかなり悔しがっていました。それからは毎日練習に来てくれるようになりましたね。合唱は一人ではできません。いろんな声が集まり、一人一人が歌いたい、表現したいと思って歌うことで素晴らしいサウンドになります」と村松さん。不来方高校に赴任して2年後、切磋琢磨して築いた不来方サウンドは大会会場を圧倒させ、全日本合唱コンクール全国大会出場が決定。16年前に抱いた「全国大会の指揮台に立ちたい」という夢を叶えることができました。
● 不来方サウンドは愛のサウンド
不来方高校を合唱コンクール全国大会の常連校にまで成長させた村松さん。「心が変わらなければ歌声も変わらない」と信じて指導しており、その信念を強く感じさせられたのが東日本大震災だったと言います。「登校できるようになって、生徒からの第一声が被災地に歌いに行きたいという声でした。そこで父母会や卒業生、地域の協力で支援物資を届けながら被災地に向かうことになりました」。しかし、被災地の現状を目の当たりにしてショックを受けたそう。「生徒たちから、本当に避難所で歌ってもいいのかという声が聞こえてきました。だけど、励ますために来たのだからと言って避難所に向かいました」。到着し避難所に入るといぶかしげな顔で見られたそうですが、馴染みのある歌から子ども向けの歌を歌い、だんだんと空気が溶けていくのを感じたそう。「その光景を見て、歌声には魂を突き動かす力があると実感しました」。その体験を機に歌の力、指導の考え方が変わった村松さん。公演後、感謝を伝える一通のハガキが避難所から届き、今でも大切にずっと持ち歩いていると教えてくれました。
令和7年4月に統合され新しい学校になる不来方高校。そのことをお聞きすると「音楽部がなくなるわけではないので落ち込んでいません。ピンチだと思わずチャンスだと思って新しい学校の仲間と一緒に新しいサウンドを作ってほしいです」と笑顔で答えてくれました。村松さんが作り上げた愛の不来方サウンドは形が変わっても未来に響き続けていくでしょう。