第60回 内丸・東大通界隈(後編)

第60回 内丸・東大通界隈(後編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 前号に続き「内丸・東大通界隈」をご案内してまいります。

内丸・東大通界隈マップ

 最初に県庁が置かれた所は南部公の別邸であった広小路御殿。1903(明治36)年には隣接する楢山家の屋敷跡と合わせた敷地に、ゴシック式木造総ひのき造り二階建ての県庁舎が竣工しました。この建物は1962(昭和37)年に現庁舎新築のため解体されるまで59年間君臨していました。

 その後も1914(大正3)年、盛岡初のモルタル建築とされる岩手県物産館が現在の市営地下駐車場のあたりに、1922(大正11)年にルネサンス風建築の県立図書館が現在の内丸緑地に、1927(昭和2)年にはその真向かいに県公会堂が竣工するなど、内丸は風格を備えた街に変貌していきます。

 時代と共に大きく変ったのは官庁街だけではありません。現在、櫻山神社前の参道には鳥居が三本立っていますが、藩政時代、ここには神社も鳥居も存在せず、二の鳥居あたりに「綱御門」があって、内堀である鶴ヶ池と亀ヶ池を左右に見ながら御門を通過するとそこはもう城内でした。維新後、国有地とされた盛岡城跡地が南部家に払い下げられたのが1890(明治23)年。北山にあった櫻山神社を現在の地に遷座したのが1900(明治33)年でした。現在、亀ヶ池から鶴ヶ池まで櫻山神社前にはたくさんの店が並び「東大通商店街」と呼ばれています。戦後、大陸から引揚げてきた人たちがこの境内にバラックを建て、店を出したのが始まりと言われています。神社前の大通と中の橋を結ぶ道路ができたのも戦後の1954(昭和29)年ですから、それほど昔ではありません。亀ヶ池を埋め立てて道路にして商店街を形成する計画が持ち上がった時、城跡の史跡指定が解除されるというので、市議会も世論も賛否が別れ大論争になりました。結果的には桟橋形式にして亀ヶ池も残すというアイデアにより史跡指定も部分的解除で済んだと聞いております。お城側に並んでいた桟橋店舗がすべて移転し、花壇のきれいな歩道から亀ヶ池や石垣がながめられるようになったのは岩手国体開催を翌年に控えた1969(昭和44)年のことでした。

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