第87回 〜みちくさ編〜 旧平戸・木伏界隈

第87回 〜みちくさ編〜 旧平戸・木伏界隈

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 この8月号から「もりおかいにしえ散歩」は「みちくさ編」としてリニューアル。日々変化する町並みを遠い記憶を掘り起こしながら歩いてみたいと思います。

 今回は旧平戸(へど)・木伏(きっぷし)界隈ということで、まずは盛岡駅から開運橋方面へ歩きます。この界隈は、鉄道が開通するまでは広大な荒地でほとんど集落などありませんでした。1890(明治23)年の「盛岡駅」開業を機に大変身を遂げたエリアです。

旧平戸・木伏界隈

 次に、駅前から進んで開運橋の手前を右折すると大きな木がそびえています。案内板によると1991(平成3)年に閉店した喫茶店「ぽぷら館」ゆかりのメタセコイアとのこと。はて、「ぽぷら館」裏の4本の大木は店名通りポプラだったはず…。などと考えつつ河原に下りると、その伐採跡地は遊歩道になっていました。メタセコイアとポプラの謎は解けぬまま、しばし川の流れを眺めていると、よみがえってきたのは松尾鉱山の抗廃水で赤く濁った北上川の風景。よくぞここまできれいにしてくれたものだと清流復活に尽力された人々に感謝し、開運橋の下をくぐり木伏緑地へと進みます。

 開運橋から夕顔瀬橋に通じる「木伏通り」は、この一帯の地主・谷藤市太郎によって整備されました。その功績を讃える「谷藤翁之碑」と「里道開通記念碑」が木伏緑地の旭橋寄りに建立されています。

 1965(昭和40)年頃の「木伏通り」には旅館や食堂など多くの店が軒を連ねていました。現在は、旅行者や若者向けの飲食店が並ぶ水辺の憩いの場「木伏緑地」として整備されていますが、この場所こそが約350年前の大土木工事によって対岸に堤防を築き、それまでお城に向かって流れていた北上川の河道を現在の流れに変えた地点。この史実を説明する案内板がここにあればいいのにといつも思います。

 木伏緑地を出て再び盛岡駅方面へ。1960年代には、盛岡駅に向かう通りには「丸勘小鳥店(マルカンペット)」その向かい側には「エンドーチェーン」、旅館や駅弁屋の裏手には「盛岡スバルボウル」がありました。町並みは変わりましたが、歩くほどによみがえる懐かしい風景。「旧平戸・木伏界隈」のんびり約3000歩の「みちくさ」でした。

(後編へ続く)

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