第97回 〜みちくさ編〜 青山町界隈(後編)

第97回 〜みちくさ編〜 青山町界隈(後編)

もりおかいにしえ散歩
もりおかいにしえ散歩

案内役 真山重博さん

 前号に続き、青山町界隈を散策します。厨川中学校を過ぎ信号を渡ると、住宅街に入ります。この辺は第23連隊の厩舎や馬糧倉庫などが並んでいた場所で、戦後はこの地区初の市営住宅「平和台住宅」が建てられました。当時の平和への思いを伝えるように、今も公民館③にその名を残しています。元兵舎が並んでいた隣接地は、警察学校になっています。

 西に進むと、国立病院(盛岡医療センター)の前庭に「工兵園」④という小さな庭園があります。赤レンガの門柱の前には、工兵第8大隊約500名の駐屯地だった工兵園の由来を記した案内板が設置されています。この工兵大隊は着任早々、未曽有の大洪水に見舞われた盛岡市内の復興作業に大活躍します。

 ここから病院の構内を北進したいところですが「通り抜けを禁ずる」との看板に従い、ぐるりと回り青山小学校へ進むと、明治以来100年以上も風雪に耐えてきた赤レンガの歴史的建造物「旧陸軍騎兵連隊覆(おおい)馬場練兵場」⑤が見えてきます。雨天時に兵馬を訓練する赤レンガ造りの屋内馬場は6棟ありましたが、結局この1棟だけとなってしまいました。2012年に「盛岡ふれあい覆馬場プラザ」として生まれ変わり、スポーツやイベントなどを行う多目的施設となっています。

 盛岡ふれあい覆馬場プラザと青山小学校の間の道を進むと、県営体育館に突き当たります。以前、ここはサッカーグラウンドでしたが、1970(昭和45)年の岩手国体のために体育館が建てられました。隣接する「青山児童公園」には、軍事演習観閲等に来盛した皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)、閑院宮、竹田宮、淳宮(後の秩父宮)といった皇族方のお手植えの木⑥が巨木となって緑陰を作っています。ただ一つ残念なことは、嘉仁親王お手植えの立派な記念樹の前に公衆トイレと小屋が設置され「大正天皇御手植」と刻まれた碑が見えにくくなっていること。ここにトイレを作らざるを得なかった事情に思いをはせながら「青山駅」のレンガ造りの門柱へと戻ります。軍事施設だった歴史の面影を今に残すレンガのまち・青山町界隈、だいたい4500歩のみちくさでした。

(後編へ続く)

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