新年あけましておめでとうございます。前号(2025年12月号)に続き、「旧六日町(むよかちょう)」を散策します。毘沙門橋から旧馬町へ続く通りと奥州街道が交差する一帯は、参勤交代途上の大名ご一行や南部駒の買い付けなど公務で来盛する幕府のお役人専用の藩営宿泊施設「御仮屋(おかりや)」があった場所です。お偉いさんの滞在中は一般人の通行が禁止され、商家の看板は撤去させられ、鍛冶屋など音を出す商売は休業を命じられ、そのうえ清掃作業に駆り出されたそうですから、住民たちはずいぶん迷惑を被ったそうです。

東北総業①の2軒先に、おそらく盛岡最古の老舗商店「十一屋」②という酒屋さんがあります。なにしろ関ヶ原の合戦からわずか6年後の1606(慶長11)年の創業というから驚きです。初代は武士の出身だったことから「士」を二字に分けて「十一」とし、屋号に武士の魂を残そうとしたと伝わります。今年で創業420年を迎える現在も「盛岡十一屋」というおしゃれな酒屋さんとして歴史を紡いでいます。
さらにその2軒隣には「盛岡信用金庫」③があります。この前身である盛岡信用組合が1903(明治36)年に創業した際、初代組合長を務めたのが当時の十一屋当主・高橋伊兵衛でした。自宅敷地内に事務所を置き、低金利で資金を融資するなど地域の小さな商いを支え、その人柄から新渡戸稲造とも交流があったといいます。いわば発祥の地にある盛岡信用金庫の入り口には「六日町本部」という旧店名が残り、町の歴史を今に伝えています。
この向かい側、穀町へと続く道路の右角に、昭和30年代に「一心太助」④というスーパーマーケットができました。当時の買い物といえば、魚屋や八百屋で代金と引き換えに品物を受け取るもの。陳列棚から商品をカゴに入れ、最後にまとめてレジで会計をする新しいシステムに戸惑ったものでした。この最新のスーパーを開店したのは、中野崎寅吉という人物。シベリア抑留から復員し、スーパーやホテルの経営も行いました。現在、スーパー跡には、住宅が建っています。
三戸町とほぼ同時に町人に割り当てられた河南地区最古の町人町「六日町」。だいたい400歩の短いみちくさでした。
(後編へ続く)


