長沼守敬と辰野金吾

長沼守敬と辰野金吾

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 東京美術学校(現 東京芸術大学)で彫造科を開設し、初代教授に就任した長沼守敬(ながぬま もりよし)は1857(安政4)年9月22日、一関藩士長沼雄太郎の三男として一関に生まれました。一関藩校教成寮を経て上京、紙幣印刷技術指導を目的に来日していたイタリア人キヨソネとの出会いがその後の人生を決めました。キヨソネにイタリア語を習ったことがきっかけで1881(明治14)年にイタリアに渡り、ベネチア王立美術学校で彫刻を学ぶことになったのです。

 イタリアでは生涯の友となる辰野金吾(たつの きんご)との出会いがありました。東京駅の設計家として知られる辰野は工部大学校(現東京大学工学部)卒業後、ロンドン大学建築学構造全科を1882(明治15)年に修了した後、フランス、イタリア方面へのグランドツアーに参加するのですが、その際に守敬と知り合うのです。二人は意気投合し、お互いが帰国してからも交際が続きました。1942(昭和17)年7月18日、守敬は千葉県館山の自宅で亡くなりますが、その建物を設計したのは辰野です。

 守敬は気が向けば散歩に出かけ、イタリア留学時代からの習慣で自ら豆をひいてコーヒーを飲むのが日課でした。幸せな生涯だったようです。 

長沼守敬の生誕地(一関市八幡町)

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