佐々木喜善とエスペラント

佐々木喜善とエスペラント

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 宮沢賢治の晩年の友人に佐々木喜善(きぜん)がいます。日本の民俗学のいしずえを築いた柳田国男(やなぎたくにお)の名著『遠野物語』の語り手として知られています。賢治と喜善は共にザシキワラシなどの民間伝承に関心があり、手紙のやりとりから交際が始まるのですが、1932(昭和7)年に喜善が花巻に賢治を訪ねて来てからは急速に親しくなります。二人の間には、エスペラントも共通の話題になりました。

 エスペラントというのは1887年、ポーランドの眼科医・ザメンホフが発表した人工国際語です。エスペラントが目指した、民族間の争いをなくしたいという平和への願いに共鳴し、賢治はエスペラントを独習しました。理想郷としての岩手を象徴するイーハトーブは、エスペラントをもじった言葉です。喜善がエスペラントを学んだのは柳田国男の勧めからで、喜善は日本エスペラント学会に入会し、賢治の斡旋により花巻でエスペラント講習会を開催するなど積極的に取り組みました。

 賢治はJR釜石線の前身である岩手軽便鉄道を愛しよく利用しましたが、現在釜石線にはその縁から、1995年駅名にエスペラントによる愛称がつけられました。喜善ゆかりの遠野には、フォルクローロ(民話)という愛称がつけられています。

鉄道橋(フェルヴォイポント)というエスペラントの愛称がついた岩根橋
鉄道橋(フェルヴォイポント)というエスペラントの愛称がついた岩根橋

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