宮沢賢治と タッピング一家

宮沢賢治と タッピング一家

岩手の先人こぼれ話
岩手の先人こぼれ話シリーズ

宮沢賢治学会 前副代表理事 佐藤竜一さん

 盛岡城跡(じょうあと)公園内には、宮沢賢治の文語詩「岩手公園」の詩碑が建っています。1970(昭和45)年に建てられたもので、詩には賢治と交友があったタッピング一家の印象が記されています。

 アメリカ生まれの宣教師、ヘンリー・タッピングは1907(明治40)年から1920(大正9)年まで盛岡に滞在しました。賢治は盛岡高等農林学校(現 岩手大学農学部)に入学して間もない、1915(大正4)年4月、級友を誘ってタッピングの聖書講座を受講したり、英語を教わったりしました。タッピングのネイティブな英語に触れたことがきっかけのひとつとなり、賢治は英語が得意であったと思われます。

2013(平成25)年3月14日、タッピング夫妻の孫、ケン・クラーク・タッピングさんが盛岡を訪れた際、私は通訳を介し、詩碑の前でケンさんに賢治とタッピング一家との交友について説明しました。ケンさんは祖父母と交友があった賢治が日本を代表する作家になったことをとても喜んでいました。賢治の脳裏(のうり)には、タッピング一家とのふれあいが若き日の美しい思い出の一つとして刻まれたに違いありません。

宮沢賢治「岩手公園」の詩碑(盛岡城跡公園)

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