【モーコ】子らを戒める恐怖の正体

【モーコ】子らを戒める恐怖の正体

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

「モーコが来るぞ」。幼い頃、夜更かししたり、泣きやまなかったりすると、そう言って親に脅かされた。そんな記憶がある昭和世代が多いのではなかろうか。鬼や悪魔の類いがさらいに来るぞというイメージ。だが、そもそも「モーコ」とはなんなのだろう。少年時代にはなんとなく「蒙古」と考えたりもした。しかし子どもの道徳教育に、いくら昭和とはいえ、元寇でもなかろう。

 柳田国男も自著『妖怪談義』のなかで「昔蒙古人を怖れていた時代に、そういい始めたのだろうという説さえある」としながらも、これをやんわりと否定し、化け物が人を怖がらせる際、最初に「噛もう」と言っていたのが、やがて地方ごとに変形され、モッコやモーコに変わった、そう論じている。

 柳田先生は「例えば秋田ではモコ、外南部ではアモコ、岩手県も中央部ではモンコ、それから海岸の方に向かうとモッコ又はモーコ」と説明している。なるほど、そういえばモーコもモッコも「コ」が付く。ということは、馬ッコ、ベゴッコと同じで東北独特の方言ということになる。すなわち「コ」を外したモーコの基本形は「モー」であり、この「モー」と鳴くものが恐怖の正体ではないのか。現代の感覚で「モー」と言えば、牛か寂しげな女のセリフと相場は決まっているが、さすがに牛が攻めてきたところで子どもを戒めるほどの迫力はない。では、それ以外で「モー」と鳴いたとされるものはないのか。ヒントは谷川健一著『列島縦断地名逍遥』のなかに見つかった。

 〈松山義雄は『狩りの語部』のなかで、狼が「モウ、モウ、モウ」と夜空に向かって大きな遠吠えを始めると、その声に答えるように、峠路のあちこちから、たくさんの物凄い遠吠えが聞こえてきたという老人の話を記している。(中略)狼はウォーと鳴くように私たちは考えているが、これを見ると、じっさいに狼の鳴き声を聞いた人たちはそれを「モウ、モウ」と表現している〉

 遠藤公男著『ニホンオオカミの最期』を読むと、明治期頃まで日本人はオオカミに怯えたり畏怖(いふ)して生活していたことに気づかされる。往時、オオカミに命を取られた子どもも多かったという。私たちが知る地元の伝承の背景にも確実にオオカミという存在があった。当然となっている文化や歴史などもオオカミという脅威なる存在ありきで考えていかなければ本当の意味で伝承は成立しない。

「モーコ」とは、時に子どもさえ襲うニホンオオカミの遠吠え。この説に私は賛同したい。

 最後に、妄想を膨らまそう。旧三陸町吉浜にスネカという存在があるが、あれも鬼ではなくオオカミが正体ではないかと私は思う。民俗学的に「春来る鬼」に類する風習ではあるけれど、かつて現場で行事を見た時の印象は「獣の神」だった。伝承されていた古い面は鬼ではなく獣だったし、台詞の合間にゴオッゴオッと鼻を鳴らしたり、山から来るという設定にも畏怖すべきオオカミを感じた。

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