前回「伝統の知識と今流の違和感」の続きとして、今回は私の知り得る《実録怪談》を紹介したい。字面は似ているが《実録怪談》と《実話怪談》は似て非なるものだ。
この「実録」というのは、金ケ崎町在住の作家・平谷美樹さんが著した『実録百物語』で2002年に生まれた。これはシリーズ化されていくが、その中で紹介される奇譚(きたん)たちは、どれも体験者から直に蒐集(しゅうしゅう)した「出どころ明確な怪異譚」ばかりである。「だからその分オチが弱いとか怖くないと言われちゃうんだけどね」と平谷さんはボヤくが、リアルな怪談というのは「なんとなく嫌な気分」とか「仄(ほの)かに怖いね」ぐらい、日常と背中合わせに存在するものなのだろう。
さて、私が採話した《実録怪談》である。時は東日本大震災直後の春の終わり、所は陸前高田市。体験者は盛岡在住の個人タクシー運転手(仮にAさんとする)である。
その日、Aさんは東京のテレビマスコミに終日チャーターされて、瓦礫(がれき)がうず高く積まれたままの被災地にいた。宵闇(よいやみ)迫る被災地の海に近い荒れ野の片隅にAさんは待機するよう言われ、カメラマンと記者は2人で周辺取材に担いで出て行った。晩春とはいえまだ寒い季節。タクシーはエンジンをかけたまま、大津波が暴れ、多数の人の命をさらっていった海辺に駐車していた。次第にあたりは暗くなったがスモールライトだけを点けて依頼人の帰りを待つ。
しばらくするとスモールライトの向こうに白っぽく動くものが見えた。ハッとして凝視すると、それはゆっくりと歩いて来る人、若い女性である。こちらに近づくにつれ、見るからに寒そうに思えた。もちろんあたりは瓦礫はあっても住宅はない。捜し物に来て迷ったのか。チャーターされて来ている身ではあるがこれは見逃してはいけない。身の危険ありだ。女性がタクシーの助手席側を通った所でAさんは助手席の窓を半分ほど下ろし、「大丈夫でやんすか、送って行ぎやんすから遠慮ねぐ乗ってってください」と声をかけた。女性が会釈したので「どうぞ」と声をかけて後部ドアを開けた。女性が乗り込むのをルームミラーで見ていた。シートに座ると当然車自体が女性の体重の分、少しだけ沈んだ感覚を覚えた。当然のこと、いつものことだ。
ドアを閉じ「どごの避難所でやんすか」と聞く。返事がない。あ、自宅が残ったのか、それは幸いだったと思いながら「どっち方面だえ」と問うた。が、なおも返事がない。違和感が恐怖に変わる。Aさんは思い切って振り向いた。
「後部座席はね、無人だったのす。ほんでね、おっかながったども、ルームライトを点けでみだんですよ。したらばね…」私は息を飲んで次の言葉を待った。
「シートが、ぐっしょりど濡れでらったんです」
そう言って改めてぶるっと身を震わせた。実録は実話よりベタで、奇なりである。