【私論 食卓の系譜】母系が継ぐ 家庭の食文化

【私論 食卓の系譜】母系が継ぐ 家庭の食文化

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

 柳田國男は自著『食物と心臓』の中で「おにぎりを三角に結ぶのは心臓の形と関係があるのでは」と推論している。もろちん、おにぎりは三角だけでなく、丸もあれば俵型だってあるから、ここで柳田先生が言いたいのは「おにぎり=三角」ということではなく「おにぎりの形≒心臓の形」ということなのだろう(≒は「ほぼ等しい」という意味の記号)。

 その家によって結ぶ形はさまざまながら、コメ文化の民族である私たちが、命を司る心臓を模したおにぎりという食物を作り出し、愛してきたというのは、それが意識的にか無意識のうちにかは別にしても、とても自然のことのように思う。ともに命の根源と知っていたからであると解釈したい。

 話は少し変わるが、おにぎりの形が各家ごとに違うように、家の食文化や嗜好というのは、その家ごとに家族環境、変遷などによって当然違ってくる。

 例えば私が育った家では漬物が食卓に出なかった。出なかった理由は母親が漬物嫌いだったため。だから漬物は必ずしも我が家の食事に必要なものではなかった。母親によれば、母が育った実家の食卓にも漬物は出なかったという。母の母親(私から見れば祖母)が食卓に出さなかったかららしい。だがさらに遡るとそれは嫁ぎ先の姑の嗜好によるものとわかった。その姑は、私から見て曽祖母に当たる。明治初期生まれの気の強い浜の女で、なぜか知らないが大の漬物嫌いだったのだそうだ。祖母からすると嫁ぎ先の姑の意向は絶対。そんな時代だったのである。それが私にまで影響していると知ったら、すでにご先祖様となっている曽祖母はどんな顔をするだろう。

 いずれにせよ、こうしたことでわかるのは、実務的に食卓を仕切る母や祖母といった、母系の嗜好や意向が、その家の食卓に色濃く影響・反映するということである。これは食物そのものだけでなく、その家の塩加減や出汁の好みなども同様だろう。そのあたり、味噌汁など如実だ。

 この母系の嗜好やスタイルの遺伝(伝播)は、おにぎりの形にも当然表れるのかもしれない。もちろん西日本や東日本による傾向・土地柄というものもあるだろうが、それを加味しても、三角派の母からは三角派の子孫が、丸派の母からは丸派の子孫が、俵形派の母からは俵形派の子孫が、育つことが多いのではないだろうか。そこに大小の変化をもたらすのは、結婚による新たな母系の血や嗜好の流入である。

 読者の皆さんも、ぜひ食卓に上がっている、例えばおにぎり、漬物、味噌汁などが、どのような変遷を辿って、当たり前のようにして食卓にあるのか、家族や親族などと話題にしてみてもらいたい。案外おもしろい物語があったりして、ありふれた目の前の食さえ愛おしく思えるかもしれない。

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