《筋子が大好きな和尚さんがいた。お寺で筋子を食べてはいけないが寝酒の肴に筋子を食べていた。寺の坊主たちはそれを羨ましそうに見ていた。あんまり見られるものだから和尚さんは「これは茱萸(ぐみ)だ」と嘘をついた。坊主たちは和尚さんが留守の時、筋子を盗み食いした。とてもおいしく、坊主たちは食べ過ぎてしまう。そこで坊主たちはお釈迦様の口のまわりに筋子を塗りつけ、お釈迦様のせいにした。「茱萸はお釈迦様が食べてしまいました」。帰ってきた和尚さんはそれを聞くと、お経をあげながら、お釈迦様に「食ったのですか」と聞きながら鐘を叩いた。すると鐘は「くったーくったー」と鳴った。和尚さんが次に「食わなかったですよね」と聞きながら鐘を叩く。すると鐘は「かんねーかんねー」と鳴った》
「結局どっちだったのが、わがらねがったどよ」。祖母は言って笑った。これは宮古生まれの85歳になる母が、幼い頃、明治初期生まれの祖母に寝かしつけられながら聞いた話だという。
サケの魚卵を塩漬けにした筋子は、それだけ美味なるものの代表格だったという民話なわけだが、私は筋子が登場する民話を他に知らない。港町ならではの民話という気はするが、さて、いつ頃の話なのか。
筋子の食文化史を調べていくと『延喜式(えんぎしき)』に「内子鮭」の名が記載されているのに出くわす。「子籠りの鮭」ともいうようだが、どのように加工処理をしたかまでは出ていない。塩蔵されたものかどうかすらも不明だ。
江戸時代になると『本朝食鑑(ほんちょうしょくかがみ)』なる書に「はららご」と称する記述が出てくる。これは塩漬けしてバラバラにほぐれた状態の魚卵のこと。まさに今いうイクラだ(ちなみにイクラはロシア語で魚卵のこと)。このような状態のものはあっても、しかしながら今もよく見る袋状になったままの筋子の紹介が、古い文献には見つからなかった。なぜだろうと考えて、はたと気づいた。おそらくその時代、塩漬けにする技術はあっても、袋状のままの魚卵自体がレアなものだったのではなかろうか。
そもそも縄文時代から、サケはオスもメスも産卵のために河川を遡って来たものを獲って食べていた。川に来る段階でメスサケの持つ卵は放卵しやすいように粒状になっている。そんなサケが黙っていても近くにやって来てくれるのだ。おのずと食の歴史は古くなる。
しかし、今の筋子に通じる袋状になったままの魚卵はレアで入手が難しかった。川から遠く離れた海の沖合、そこにいる段階の、いわゆる銀毛のメスからしか獲れないのだ。これが獲れるようになるのは漁法の進歩に伴ってということになる。北海道の定置網漁は江戸末期に起こったとする説があるから、筋子が食文化に登場するのはそれ以降と考えるべきかもしれない。まさに民話を語った私の曽祖母の時代と符合する。
そうした背景があってこそ、筋子=仏に仕える身の和尚さんや坊主たちに掟破りさせるほどに美味なるもの、という民話としての面白味が滲み出てくる。愉快さのツボは漁業の進歩とともにあった。



