【オシラ様】多様な形で庶民に 寄り添う祟り神

【オシラ様】多様な形で庶民に 寄り添う祟り神

風のうわさ
風のうわさ イワテ奇談漂流

高橋政彦さん

 オシラ様といえば遠野や内陸の風習に思われがちだが、実は沿岸部にも広く分布している。ということは東日本大震災で多くが失われた可能性も大ということだ。現状どんな状態になっているかとても心配である。改めて目を向けるきっかけになればと思い、今回、オシラ様を話題に上げてみることにした。

 古い資料だが、岩手県立博物館から平成3年に発行された「岩手民間信仰事典」には県内約850戸の家がオシラ様を所有していたとある。平成19年に県立博物館が調べた所有戸数は多い順に、陸前高田の102戸、軽米92戸、種市76戸、釜石73戸、遠野69戸、山田60戸、大槌59戸と続く。ちなみに県内外を問わず最も古いとされるオシラ様は、種市・真下家の1525(大永5)年のものとの記録がある。

 一般的にオシラ様とは東北地方の家の神様で、特にも馬の神、農耕の神とされる。二体一対の御神体の多くは桑の木で作られ、棒の先には男女の顔や馬の顔を書いたり彫ったりする。これに布製の衣を多数重ねて被せ、着せてお奉りする。顔を出した貫頭型と、衣ですっかり包んだ包頭型とがあり、祭日には新しい着物に着せ替えたり、祭文を唱えながらイタコや巫女(神子)がオシラ様を手にして踊らせる行事「オシラアソバセ」が行われる。

 さらに予言をするという性質や、女性の病治癒を祈る神という性格も併せ持つオシラ様信仰には多様性があるように思う。また遠野郷などには、馬と娘が結ばれ、しかし許されることなく死んで昇天するといった悲恋物語があるが、これは「異類婚姻譚」と呼ばれ、オシラ様信仰とともに養蚕の始まりと結びついて伝承されて来たのも興味深い。

 さて、私が生まれ育った宮古ではオシラ様を「カノギズンゾー」と呼ぶ。漢字で記すと「桑の木神像」らしいが、私は「桑の木地蔵」ではないかと推測している。いずれ多様性ある神ということは、表記すら神像でも地蔵でも自由に捉えていいものかもしれない。広く庶民に寄り添うものとして存在し、とりわけ飢饉などで貧困を繰り返して来た東北に伝わる信仰ということが、厚い祈りの気持ちさえ抱いていれば、どんな身の上でも心のよりどころにできる自由な信仰形態を可能にしている気がする。

 オシラ様の原型をお雛様と説く民俗学者もいるが、こけしに源流があるのではと私は考える。子宝恵与や子の成長祈願の縁起物として、木地師(きじし)が温泉地の土産として作ったのが始まりとされるこけしには、同時に真逆の意味を持つ「子消し」が語源との説もある。子消しは間引きを意味する。飢饉に加え、医学が進んでおらず命が脆弱な時代だったがゆえに、こけしもオシラ様も庶民に寄り添い、広く厚く多様に信仰されたのではあるまいか。

 反面、オシラ様は祟る神としても有名だ。庶民に寄り添ってくれる分、粗末にすると祟られて大変なことになるというのも、都合のいい存在で終わらないぞという神たるものの矜持を漂わせている。

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