1876(明治9)年7月、明治天皇一行は維新後初の東北巡幸で1週間にわたり岩手の視察を行っています。右大臣の岩倉具視(ともみ)をはじめとする随行員、武官、従者、荷物運搬の人夫など総勢700名を超える一行は、7月3日に岩手県入り。平泉、水沢、花巻にそれぞれ1泊し、6日に盛岡へ入りました。今では懐かしい旧町名となった、川原町、新穀町、穀町、六日町の通りには各戸ごと日の丸が掲げられ、沿道には学童たちや盛装した住民が整然と並び、西洋風の馬車に鎮座した若き天皇を恐る恐る仰ぎ見ながらお迎えしました。行列は六日町から肴町に入り、行在所(あんざいしょ)とされた旧餌差小路の菊池金吾邸① (現・杜陵老人福祉センター)に15時40分到着。 菊池金吾は旧藩の士族で、前の道を肴町から直接通れるよう門前の家や土地を買い取り道路とし御幸(みゆき)新道 ② と名づけて一行をお迎えしたことが知られています。明(あ)くる7日8時に行在所を出発した一行は、御幸新道、肴町から中の橋を渡って内丸の県庁③に向かいました。島県令(知事)から岩手県の報告と陳情を受け、9時には日影門外小路に移動。明治天皇、お供の岩倉具視、木戸孝允、大隈重信など明治の元勲たちは、仁王学校 ④(現・北日本銀行隣りの聖蹟記念緑地)で授業を参観した後、現在の東警察署から東北銀行、もりおか歴史文化館に至る広大な敷地を有した勧業場 ⑤に案内され、養蚕所や製糸場などを視察。陳列所⑥では山間僻地に住む貧農の衣食の展示に陛下の足が止まったといわれます。次に立ち寄ったのは200名余の女工が南部紬や木綿織を産していた菊池金吾経営の機業場⑦。一旦、行在所に戻った陛下は午餐を済ませると、14時には盛岡八幡宮に行幸、境内の御座所⑧で南部馬400頭余のパレードや30人ほどの集団によるさんさ踊りを観覧、翌8日7時には行在所をご出立、紺屋町、鍛冶町、上の橋、本町、八日町、四ツ家町、上田を経由して盛岡を後にします。
あれから147年の時が経った今年6月、岩手県を会場に開催される「全国植樹祭」の式典には天皇皇后両陛下のご臨席が予定されています。行幸啓が滞りなく終えられますように…。
(後編へ続く)