2月は厳冬期である。「岩手山の七滝がそろそろ凍ったかな?まだ小さいかな?」誰とはなしにささやく。岩手山の西側に、屏風尾根と鬼ヶ城とが囲んだ巨大な外輪山がある。火口湖の御苗代湖と御釜湖は標高1500m。湖水は大地獄谷を下って左俣沢と合流し、焼切沢(やっきりさわ)となって松川に落ちこむ。標高800m地点の「七滝」は落差25m、七滝コースの人気スポットである。
焼切沢の水量は並みではない。轟音(ごうおん)をとどろかせて落下する滝の様相は圧巻だ。飛沫がレース状に凍りつき、巨大な氷瀑(ひょうばく)に成長する冬期限定の風物詩は見逃せない。雪が辺り一面にもっさり積もるころ、青氷(あおごおり)の中で滝はいっそう激しく水しぶきを飛ばす。そうして渓谷全体は、幻想の大空間に変身するのだった。
ある厳冬の夜、ラジオの取材で七滝へ向かった。冷気が肌をぴりぴりと刺し、手足がかじかんで憂鬱(ゆううつ)だ。「アベさんほらっ、雪がゆらゆら浮遊している。まるで海のプランクトンのようできれい!」同行していた浅見さんの感嘆符に、私のテンションは一気に上がった。昼降る雪を見上げると灰色だが、夜の暗闇で雪はいっそう白く、きらきら泳ぎながら舞っていた。
宮沢賢治は青い御苗代湖を瞳に見立て、「焼切沢」を妹トシの死を悼んで流した涙にたとえている。透きとおった青氷と滝の残響と雪のひとひらに、賢治の思いを読み解く。あの大きな岩手山が泣いているのだ、兄の悲しみはいかばかりだったか。厳寒の岩手山は何もかもが美しすぎる。
七滝へは県民の森・フォレスト アイから出発し、指示板に沿って森の小路を歩く。スノーシューやワカンがあれば申し分ないが、踏み固められた雪上ならツボ足も良い。滝の広場でシューを脱ぎ、雪を踏み抜かないよう注意して滝の直下まで進む。1時間30分で着く。